Chapter 6-3. 彼はもっと人間味にあふれている

次作の「消えた廃坑」では、ホワイトヘイブンマンションでモノポリーを対戦し、ヘイスティングスに負けてしまう。

ポワロの得意なお金の問題が、この回の肝になってくる。ヘイスティングスが大負けして、ポワロが勝つまでモノポリーをやり続ける。ポワロの銀行口座は貸し越しがあるというのだが、ポワロは絶対にそんなことはあり得ないと言って、私自身もそうならないようにしているのだが、ついにはアンソニー・ベイト演じる頭取が出てきてポワロに助けてほしいことがあるという。


この回では、立派なセットが組まれ、Twickenhamスタジオにチャイナタウンと中国風のナイトクラブが再現された。このセットを見て、ロンドンウィークエンドテレビは第二シリーズにいくらの予算を付けたのだろうか、と考えてしまった。

第一シリーズの1話50万ポンドを超えているのは確かだ。中国人の犯人ウー・リンもロンドンのイーストエンドでのアヘン密売も、当時大ヒットしたチャーリー・チャンの推理シリーズに影響を受けたものだ。


チャイナタウンを扱ったクリスティの作品は、1925年にアメリカの雑誌に「ポワロの冒険」という短編集として発表される。

チャンの長編小説「The House of a Key」も同年に発表され、アメリカの作家Earl Derr Biggersは約6年間、このシリーズを書いていた。ポワロのように、チャンはちょっとした癖はあるが、とても頭が切れ、公正で優しい探偵である。


チャンはアメリカでは定番の小説になり、約30年間にわたって映像化され、スウェーデン人俳優Warner Olandが演じることになる。チャンとポワロには、共通点がある。チャンは常に礼儀正しく、終盤では長台詞で事件を解明する。

次作「コーンワルの毒殺事件」ではチャイナタウンの生き生きしたロケがあり、ポワロは「コックを探せ」以来のイングランド中流階級の事件に巻き込まれる。

コーンワルからやってきたというアリス・ペンゲリーは、臆病とまではいわないまでも、かなり緊張した面持ちでポワロのもとにやってきて、歯医者である夫エドワードがいないときはどうもないのだが、共に食事をとるといつも胃が痛くなるのだと言う。

ペンゲリー夫人は除草剤を食事に混ぜられているのではないかと疑っていて、というのも半分カラにになった瓶が家にあるのだが、庭師は使ったことがないという。


ペンゲリー夫人は、夫はブロンド美人の助手とできているに違いないと言ったとき、ポワロはヘイスティングスに「なかなか厄介や人間模様ですね」と言う。


翌日ポワロとヘイスティングスはコーンワルのPolgarwithまで出向くのだが、夫人はすでに死亡していた。

そこにジャップ警部がやってきていて、すでに犯人は捕まえた、という。だがポワロは、ことはそんなに単純ではないと主張する。


次の3作の撮影順と、放送順は違うのだが、「二重の罪」「安いマンションの事件」「西洋の星の盗難事件」はどれも軽い作品で、実を言うと私はあまり満足のいく出来ではなかった。どれも物語に起伏がなく、他に比べて展開がないように思う。


「二重の罪」の最初、ポワロはまたも引退をほのめかして、ヘイスティングスと休暇でCharlock Bayを訪れる。そこでメアリ・デュラントという若い女性と出会うのだが、彼女は高価な骨とう品を御客様に届ける途中だと言う。


骨董品が盗まれてしまい、メアリーはポワロに探してくれるよう頼むのだが、ポワロは引退しているから、とヘイスティングスに捜査するように言うのだが、ポワロは「私に全部話してくださいね」とも言う。

「ブライアン」・リックス卿の妻である、Elspet Grayが車いすに乗ったメアリーの母親を演じた。Clive Extonの脚本はともかく、ホテルのダイニングロームで謎解きが行われたりしたが、この回の出来はイマイチだったと思う。


その名の通りの「安いマンションの事件」では、6年前にボンドシリーズでミス・マニーペニーを演じたサマンサ・ボンドと共演した。

ヘイスティングスの友人が二人出てきて、ロビンソン兄弟は、しゃれた街にある高級マンションの一室を格安で借りられている幸運が信じられないという。

ポワロは近くのマンションの一室を借りようとすると、マフィアが盗んだ潜水艦の設計図を秘密裏に探しているFBIと出くわす。FBIはジャップ警部にその件を解明するようお願いするが、解決したのはポワロだった。


「西洋の星の盗難事件」はクリスティの作品でも駄作である。

ポワロが敬愛する、美しきベルギー人女優マリー・マーベルが、「西洋の星」として知られるダイアモンドを返すようにという脅迫状を受け取った。「西洋の星」はかつて中国の神様の左目だったという。

またイギリス貴族ヤードリー卿の妻が「東洋の星」と呼ばれる似たようなダイアモンドを所有していて、同じように脅迫状が届いたという。

ポワロはヤードリー卿夫妻に会いに行くのだが、ダイアモンドは盗まれてしまう。ロンドンに戻ると、「西洋の星」も盗まれているのだった。ポワロは憧れの女優マリー・マーベルに会えることでウキウキしていて、これがクリスティのミスリードの一つになっている。

ポワロはダイアモンドの追跡劇に興味を持っているが、私自身この演技には納得がいっていない。


「西洋の星」の回では、ヘイスティングスに夕食を供するシーンがあって、ポワロの料理に対する情熱を表現する機会となった。

ポワロは食事の間、いい食材を調達するのがいかに大事で、今回そうできたことが嬉しいということを喜々として語る。

それによってポワロの個性を表現することができたと思う。ただ、このシーン以外ではミス・マーベルに対するポワロの判断は納得がいかなかったし、私自身この作品についてあまりいい感想を持っていない。

ポワロのことを1次元か二次元的にしか捉えない人がいるが、そういう人は原作を一度も読んだことがないことがほとんどだ。原作を読めば、3次元の彼がいることにすぐ気づくはずだ。

彼を演じる時はいつでも、表面的なことだけではなく、クリスティが書いてきたポワロの内面について、きちんと表現できるように気をつけている。


アンドリュー・グリーブは第二シリーズで、1時間作品の「ダベンハイム氏の失踪」と「誘拐された総理大臣」のディレクターを務めてくれ、一緒に仕事がするのが楽しかった。

「誘拐された総理大臣」は大好きな作品の一つで、ポワロがたとえ体制側を敵に回しても自分の主張を曲げないことを表現できた。アンドリューはこの二つについて深く読み込んでいて、ポワロの尺について私と話したがっていた。

アンドリューはポワロのキャラクターを掘り下げることに同意してくれた。

「ダベンハイム氏の失踪」はとてもいい出来で、ヘイスティングスジャップ警部と一緒に手品を鑑賞しているシーンで始まる。この回で手品は何らかの形でずっと関わっている。

銀行家マシュー・ダベンハイム氏は、ある日の午後、オフィスから帰宅して、手紙を出しに行く途中で行方不明になる。ポワロはマンションの自宅に居たまま、警察よりも早くにこの事件を解決できる、とジャップ警部に言う。

この回では、ポワロはホワイトヘイブンマンションでくつろぎながら、手品の種明かしを喜々としてしゃべっていて、またトランプでタワーを作る方法も嬉しそうに語っている。ヘイスティングスに説明しながら「ノン、モナミ。私は耄碌なんてしていませんよ。気は確かです。指先に神経を集中させるのです。そうすると脳にもその刺激が伝わるのですよ」


トランプのタワーを作るのに、専門家の方からいろいろと助けてもらった。面白かったのだが、私は手品師には向いていないな、と思った。


困ったことにポワロは鳥嫌いなのに、話し好きのオウムを飼っていることがある。一方

ヘイスティングスはSurreyで開催されるブルックランドの自動車レースにでて、自分の自動車レース欲を満たそうとしている。この面白い脚本を書いたのはデイビッド・レンウィック。

彼はこの後すぐ、BBCテレビの大ヒットコメディ「One Foot in the Grave」を書いている。「誘拐された総理大臣」で、アンドリューはポワロが自分にものすごく自信を持っている様を描いている。

この話はアメリカで出版された12の短編集「ポワロの冒険」の一つで、1923年の4月、ロンドンのスケッチ誌で発表された。


第一次世界大戦終戦直後のベルサイユ平和会議がもとになっていて、ドイツの再軍備を回避するためのパリ近郊で開かれる国際連盟軍縮会議出席するため渡仏していた英国首相が誘拐されてしまう、という事件だ。

お抱え運転手だけを従えて、首相はブールージュ息のフェリーに乗船し、フランスに到着したのに行方不明になる。イギリス政府はポワロに首相の捜索を依頼する。


ここでポワロが船酔いする体質なのが表現されている。原作でも「海なんてまっぴらごめんです。Mal der mer. ああ怖ろしい!」とヘイスティングスに言っている。

フランスに行くための軍艦に乗るのも嫌がって、事件をイギリスで解決して見せる、と言う。ヘイスティングスも国会議長も納得していないが、ポワロはフランスを行く気はさらさらない。


事件を解決するのに大事なのは、事件が起こった時間に戻ることだという。

原作でも「優秀な探偵はそんなことはしないのです」と言っている。「あなたの考えはわかっていますよ。もっと精力的にならねば。緊急事態だ。汚れた道端に寝っ転がって、小さなガラスの破片とか、タイヤの跡を探すべきだ。たばこの吸い殻や使用済みのマッチを集めてなければ、と?そう思っているのでしょう」


ポワロはそういう捜査方法に全く同意していないし、クリスティも原作でポワロに言わせている。

「『ですがね、私、エルキュール・ポワロは、そんなことは必要ないのです。本当に必要な手がかりは、ほら!ここにあるのです!」ポワロは自分のおでこを指でたたいて見せた。『すべては灰色の脳細胞が知っています。静かにひそやかに灰色の脳細胞は仕事をしています。ああ、地図が必要ですね。私は、ある地点を指さしますよ。そう、そうですね。首相はここにいますよ!そうこれがポワロです』


ポワロは回が進むにつれてこういった推理方法をとるようになる。「誘拐された総理大臣」ではポワロと私の新しい共通点が分かった。それは、イギリスの階級制度への疑問、である。


クリスティは作品を通して、イギリス上流階級とその慣習について、時には面白おかしく、批判している。ポワロのリスト62番目は「イギリスの階級制度が大大嫌い」


紅茶のことを「イギリスの毒」と呼び、上流階級同士で栄誉を称えあうような集まりに呼ばれても参加することには慎重だ。それは、私も同じだ。


ポワロはベルギー人で、第一次世界大戦時の移民である。イギリス特有のマナーや服装についてポワロは学んでいて、自分にとってはなんだか奇妙な恰好でも、ハーレー街の医者のような恰好になるように考えていたはずだ。

そんな彼だが、「good chap」と呼ばれる特権階級については全く同意していないようだ。私もそうだ。「good chap」を許容する傾向があることに対して、ポワロはためらうことなく毒づく。


ポワロは正しいと思う。なぜそう思うのかは説明できないが、私はロンドンに生まれているにも関わらず、自分の両親に関係しているためか、または疎外感からくるものだと思う。

ともかく、ポワロの上流階級に対する批判的な態度が第二シリーズでは描かれ、これが今回のドラマの核心部分になっていると思う。

リストの55番目「イギリスの『特権』が嫌い。イギリス人は愚かだと思っている」

Chapter 6-2. 彼はもっと人間味にあふれている

ポワロは出されたゆで卵をウェイターに下げさせる。ポワロは卵のサイズにこだわる、というふうに私はこのシーンを演じている。

この第二シリーズでは、ポワロのこだわりがちょっとばかり奇妙に映っても、できる限り人間らしさがあるように演じるように心掛けた。

そうすることで、第一シリーズでは描けなかった温かみを持った人間らしさを表現できると思ったのだ。


Clive Extonの脚本は大いに助けになった。今回のシリーズでは、ポワロの挙動に関してくすりと笑えるようなエピソードも入れたいと彼は考えていた。

ポワロを滑稽な感じにすることは避けなければならないが、そういう試みは私は大歓迎だった。原作のポワロはそういう男で、そこをちゃんと表現したかったからだ。

またCliveは、ジャップ警部ヘイスティングスを、堅物すぎないように書いていた。

そのおかげで第一シリーズよりも、彼らはポワロに対して親しい感じに仕上がっていた。


私はポワロがもっと人間味にあふれた人物として演じたかったのだ。視聴者に、ポワロがどういう人物なのかをわかってほしかった。

そうすれば、登場人物たちがなぜこの小男にいろいろと告白してしまうのか、ということが分かってもらえると思ったのだ。ポワロはどんな人に対しても常に礼儀正しく、また我慢強く話を聞くので、人々から好感をもたれる。


これは持論だが、聞き上手な人は、好感を持たれやすい。このことをドラマで表現したかった。

「聞く耳」を持っている人ほど、素敵な人はいない。

ポワロのリスト27番目に「非常に優れた聞き手。時には石のように寡黙。しゃべらさせるために」


地位や階級とは関係なくあらゆる人の話を聞き、会話を持とうとしているのだ。

これはクリスティの作品で後年になるにつれて顕著になる。ポワロはシャーロック・ホームズのように、裕福だが無知な大金持ちや警察官を相手にこれ見よがしに説明してみせることはしない。

ポワロは人間関係に非常に気配り、どんな時も思いやりをもって人に接している。


ポワロが登場人物たちを喜んで迎え入れている様子を見ると、視聴者は彼に対して親愛の情を持つのだ。ポワロは登場する人物の誰をも丁重に扱うので、彼はフィクションの探偵だが、尊敬の念をもたれる探偵になりえたのだと思う。

ポワロはそうすることのメリットを知っている。批評家でさえもポワロを『親愛なる友』と呼んでいるではないか。


ポワロのそういうところを表現したいと思っていたので、批評家Dany Margoliesが次のような記事を書いてくれた時は嬉しかった。

「スーシェの演じるポワロには結構な矛盾があって、そこがポワロの魅力になっている。ポワロはかなりのえり好みをするし、完璧主義なのだが、スーシェは細心の注意を払って演じることで、好みにうるさい性格さえも、人としての魅力に昇華させている。このポワロは素晴らしい。一緒に飲みにいきたいくらいだ。」


これこそが第二シリーズで表現したかったことだった。ポワロを裁判官のようにではなく、視聴者にとって気軽にお茶にでも誘えるような、そして困っている時には必ず助けてくれるような人として演じたかったのだ。

「エンドハウス怪事件」から、そのように演じることができたと思う。


「エンドハウス怪事件」はクリスティのストーリーテラーとしての本領が発揮される作品で、読者も視聴者も予想していない展開が繰り広げられる。普通なら見過ごしてしまうような出来事が本当は手がかりなのだが、クリスティはまったく別のことに上手にミスリードさせる。

これはまるで手練れの手品師のようでもある。クリスティは誰もが考え付かなかったような結末を用意している。


数百万人に見ていただくことになったポワロを演じていて何なのだが、実を言うと私は一度も犯人を当てられたことがない。クリスティの叡知に私は遠く及ばないのである。


ミス・バークリーの遺書を読み終わった後に開かれた降霊術の会で「エンドハウス怪事件」が終わる。ポワロは殺人犯を特定するために降霊会を開き、ミス・レモンを会のために呼び寄せる。

降霊会の参加者は犯人のめどは立っておらず、ポワロが犯人を当ててくれるのを待っている。

そこで、徐々に事件の真相がかっていき、犯人が分かる、という仕組みである。ポワロがあまりにすべてを把握していたのが明らかになったとき、犯人がポワロを「愚かな小男」と表現し「何もわかっていない」と言い放ったことで、ドラマの終わり方はとても印象深いものとなった。


「The Ghost Train」の著者でありBBCテレビ「Dad’s Army」のスター俳優でもある、脚本家兼俳優のArnold Ridleyは今回のドラマで、1940年代のFrancis L Sullivanをポワロに当てはめた。

1940年5月にVaudevilleシアターで開演し、好評だったにも関わらず23公演しか上演されなかった。ダンケルクに近いフランス沿岸部に囲まれたイギリス兵たちはもっと別な演目が観たかったのだろう。


クリスティは「エンドハウスの怪事件」で『軽いトリック』を読者に仕掛けている、それは登場人物が死んだと見せかけて、その後再登場させるやり方である。

この手法をクリスティはよく使うようになる。脚本家がこういった話の展開をこれ以降も使うだろうな、ということは想像できた。なにしろ70作品もあるのだ。

だからと言ってドラマが退屈な展開になるとは思えなかった。ポワロは事件を解明し、犯人をあてなければならないし、もっと大事なのは、動機を解明せねばならないのだ、犯人は何を考えていたのか?と。


ポワロがどうしてそのような結論に至ったのか、というのが視聴者の一番の関心ごとではないだろうか。

クリスティは、小説の中で読者が自分の「灰色の脳細胞」を使うようにと仕向けてる。読んでいると、色々なところにヒントや手がかりがちりばめられていて、それに気付くことができれば、犯人が分かるように書いているのだ。


第二シリーズの撮影が1989年の夏にさしかかると、クリスティのそういった仕掛けに対して頻繁に気付くようになってきた。


そして、ポワロという人物は友人たちに対して非常に良き理解者であり、皆が自分を知っていると思っている男なのだと確信し始めた。

より人としての温かみをもって演じるようになると、ポワロという人物がよりはっきりとわかり、そしてとても親しみやすい人柄なのだと、考えるようになった。


ただ確信を持って言えるが、ポワロと私は全く同じなわけではない。

完璧主義というのはまったく同じだが、私のほうはポワロを演じるにしたがって、ポワロのほうに近づいていったような感じだ。

しかし、ポワロのうぬぼれは、間違っても私にはない。私は俳優だが、そういった虚栄心はない、と思うし、持たないようにしている。


シェイラと私が「レパートリー俳優症候群」と呼んでいるものに、私は手を焼いている。イギリスの田舎で忘れられない経験をしたのだが、次の仕事は来るのか、俳優の仕事で食べていけるのか、まったくわからなかった。今だってその時と変わらない。


この第二シリーズだって、どうなるかわからない。Pinnerの家に住み続けることができるのかどうかもわからない。


だが、今回「エンドハウスの怪事件」が撮影されたことで、私もポワロもテレビシリーズ化に望みがあるように思われた。

なにしろ長編のドラマ化だし、そしてほとんどがロケで、ヴィンテージ物の航空機を取りそろえられたことからわかるように、何より予算だってだいぶんと豊かになってきているようだった。

撮影の回数を重ねるごとに、「たぶんシリーズ化されるだろう。ロンドンウィークエンドテレビは一話につき1時間以上取るように求めてきたし、そうなる」と考えるようになった。


だが、やはりポワロはお金の心配をしていたのだった。第二シリーズ3作目「消えた廃坑」で、自分の銀行口座の残高についてやり取りするシーンで「お金のことで馬鹿にしてもらっちゃ困ります」といい、常に自分の口座には44ポンド4シリング4ペンスになるように管理しているとポワロは言い張るのだ。

「二重の手がかり」で、ポワロは「もう終わりだ。」と言い、「引退の時期だ」とまで言う。数週間、一件も相談がなかったからだという。


彼が何を考えているのか、私はよくわかっている。電話が来なければ、俳優は仕事にありつけない。

そうすると、すぐに引退、という言葉が脳裏をよぎる。「必要とされていないんだ。もう消えてなくなった方がいいんだ」私も役がない時はそういう風に暗い毎日を過ごしていた。

「落ちぶれるなんてまっぴらだ。モスブロスをやめなきゃよかった」と。


稼げないから引退する、という感情は私もポワロも同じだが、「変装」が好きなのも一緒である。

性格俳優なら、役になりきるのに衣装は欠かせない。ポワロだって、自分を表現するのにあの衣装は大事だし、時には事件解決のために変装することだってあるでなないか。

第二シリーズ二作目「ベールをかけた女」で、そのことがよくわかる。ポワロはベールをした謎めいた女性から、ロンドンホテルでの面会を申し込まれる。

その女性は自分がレディ・ミリセント・キャッスル=VaughanでSouthshire公爵と結婚したばかりなのだと明かす。演じたのはフランシス・バーバーだ。レディ・ミリセントは数年前、当時付き合っていた男性から、自分が書いたラブレターがもとで脅迫されているという。

ヘイスティングスが「下衆なブタ野郎」と言い放つ、その元恋人の名前はラビンガムという。


その哀れな女性を助けるために、古めかしい自転車にのり、黒いベレー帽まで被ってポワロは錠前職人になりすまし、レディ・ミリセントの名誉を守るためにその脅迫状を携えて、ウィンブルドンにあるラビンガムの屋敷に忍び込んで、ラブレターを見つけ出そうとする。この試みはまったくうまくいかないばかりか、挙句に逮捕されてしまい、ジャップ警部が助けてくれるまで豚箱に入って居る羽目になる。

ロンドン自然史博物館ではポワロ、ヘイスティングス、そしてジャップ警部を巻き込んで、ハラハラドキドキな追跡劇まである。

chapter6-1. 彼はもっと人間味にあふれている

1989年の6月下旬、暑い夏の日だった。第二シリーズの撮影が始まり、私はボディスーツとシミ一つない衣装を身にまとい、自分の人生を変えたベルギー人の小男を演じていた。


そうすると、ポワロと私には同じような欠点というか特徴があって、似たような強迫観念を持っていることもわかった。

というか、第一シリーズを演じてみてわかったこと、と言った方がいいのかもしれない。


第二シリーズの第1話は2時間スペシャル版、「エンドハウス怪事件」である。ポワロがバカンスでイギリスの西地方に飛行機で向かうところは、一部分がロケである。ポワロはフライトをちっとも楽しんでいない。

というのも、ポワロは飛行機が苦手でそれを隠そうともしておらず、一方ヘイスティングスはそんなポワロの横で悠然としている。

私が書き綴っているポワロに関するリスト6番目「飛行機が苦手。酔うから」。なのでこのシーンはポワロの弱点がよくわかるシーンになったと思う。


今回の原作はクリスティが1932年に書いた長編小説で、推理小説の傑作としてファンの多い作品でもある。執筆から40年後に出版された彼女の自伝によると、クリスティはこの作品についてよく覚えていないという。

そういう理由で、批評家たちの評価は芳しくないが、私はこの作品はよくできていると思う。


ポワロとヘイスティングスは「the Queen of Watering Places」でイギリス西南部にバカンスに訪れる。滞在先は実在しない場所、Cornwellのセント・ルー、マジェスティックホテルだ。ヘイスティングスはこのホテルを「French Riviera」として思い出している。

デボン州のSalcombeでのロケが大半で、スタジオでの撮影は少なかった。興味をひかれたのは、クリスティは生誕地トーキーにあるインペリアルホテルからヒントを得ることが多いということだった。


ここにきて、私とポワロの人生の不思議な縁を感じることがあった。私の父はインペリアルホテルにサービス付きの部屋を持っていて、母はその部屋をよく利用していた。

なので、「エンドハウス怪事件」でポワロが歩いている道は、私も1980年代に歩いたことがあり、容易に想像できたのだ。


マジェスティックホテルで、ポワロとヘイスティングスは、やや陰のある、魅力的で若い女性「ニック」・バークリーと出会う。彼女は、町はずれの崖の上に建つエンドハウスの女主人である。

そして、先週のうちに少なくとも3度は命の危険にさらされている、とポワロは推測するのだが、ニックは取り合わない。

ところが、彼女と間違えて、いとこのマギーが殺される事件が起こる。


ディレクターは第一シリーズに引き続き、Renny Rye、脚本はClove Exton。エンドハウスには毎夜、イブニングドレスで着飾った女性やホワイトタイで盛装した紳士が国籍豊かに集い、食前酒にカクテルを飲み、ディナーをともにし、そしてダンスするのがお決まりだった。

ここでクリスティには定番の、現実にはちょっといそうにないサブ的な人物が登場する。エンドハウスに仕えているオーストラリア人の夫婦、車いすに乗った女性と彼女の世話をする夫、ポワロは彼らを「善良すぎるお人よし」と評価する。


ポワロにとって気の滅入るフライトから解放されたのち、ホテルの朝食でゆで卵が2つ供されるのだが、卵の大きさが同じではないと言って食べない。

これは私のポワロのリスト24番目「朝食にはゆで卵をよく食べる。二個以上の時は、必ず同じ大きさでなければならない。じゃないと食べない」

 

chapter 5-6. 木槌で頭を叩かれているような感じ

仕事がないと困るのだ。

住宅ローンだってまだまだ残っている。

ポワロ役がつくまでの19年間、私の稼ぎはあまりよくなかった。性格俳優としての評判は良かったが、稼ぎにはつながらなかった。

 

1989年の2月下旬、ITVは第二シリーズ製作を決断した。

スケジュールは第一シリーズと全く同じだった。

1989年の7月上旬からクリスマスまで撮影し、翌年の1月から3月にかけて放送する、というものだ。

 

ただ、第一シリーズでLinda Agranと共にエグゼブティブプロデューサーを務めたニック・エリオットは、1990年1月上旬に放送する第二シリーズ一話目に、2時間ドラマ制作するようブライアンにを求めてきた。

原作は有名な「エンドハウス怪事件」である。その放送の後、毎週日曜に、1時間ドラマが8本放送されるという。

ポワロはITVテレビの日曜夜枠の定番となったようだ。

 

評論家の批評がよかったからロンドン・ウィークエンド・テレビが第二シリーズの製作に踏み切ったわけではない。

一応気にしてはいたようだが、決め手となったのは視聴率で、ドラマが回を進むにつれて上がったらしい。

そしてこのドラマは、イギリス以外でも放送されることになった。

カナダ、アメリカ、ヨーロッパが興味を持っているという。

ベルギーではすでに放送されていた。

 

世界中で放送されることになるので、「エンドハウス怪事件」と8話に加えて、第二シリーズの後にクリスティの処女作でありポワロが初登場する「スタイルズ莊の怪事件」の特集を組むように、とロンドン・ウィークエンド・テレビはブライアンに要請した。1990年の後半に放送し、クリスティの生誕を祝うという。

 

第二シリーズの製作が決定されて本当に嬉しかった。

私が作り上げたポワロが受け入れられたのだ、とホッとした。

これで住宅ローンも払える。あと数年は今の家に住めるのだ。ポワロのおかげで住める家を、Elmdeneと名付けた。

そしてまたあのベルギー人の小男を演じることができると思うと、心の底から嬉しかった。

このままポワロとサヨナラする気など、到底なれなかった。

彼と歩む人生はまだまだ始まったばかりなのだ。

 

そう、これからだ。

chapter 5-5. 木槌で頭を叩かれているような感じ

ドラマが成功したことは嬉しいのだが、それ以上のなにかがあるようにも感じた。

私は俳優で、養わなければいけない家族がいるのだ。ファンレターも好意的な評論も有難いが、何より私は働き続けなければならないのだ。

 

テレビの仕事が二本きていた。

まずトム・ケンピンスキー作の「Separation」、これはポワロの撮影前に、ハムステッドのコメディシアターの舞台で出演したことがあってそれの映像化だ。

そしてEdward Bond作「Bingo」、ウィリアム・シェイクスピア役だ。

私はシェイクスピアを、ストラトフォード・アポン・エイボンに隠居し、金はあるが人生に嫌気がさしていて、一つのことに熱心だが、鬱な感じのある天才、として演じた。

 

どちらの役もポワロとは似ても似つかない。

だが、これらを演じることで、同業の俳優は、私がいろんな役をこなせる性格俳優であると分かってくれたように思う。

視聴者もそうだと思う。

 

とはいえ・・・

「名声」を手に入れて、確かに今までとはなんだか勝手が違うようになってきた。

ポワロの第一シリーズが放送されて間もなく、雑誌「Hello!」に私と妻の写真が掲載されていた。

これまでの私からは、考えられないことだった。

Pinnerの新居にいる私たちが撮られたものが、まるで王族の一員か何かのような扱いで、世界で成功を収めるセレブリティのような書かれて方をしていて、こんなことはまったく経験したことのないことだった。

 

現実はそんなものではないし、セレブリティなんかではない。

シェイラと私が本当に気がかりだったのは、このままPinnerに住み続けられるのか、ということだった。

ITVネットワークの一員であるロンドンウィークエンドテレビは、ブライアントと私にポワロの第二シリーズ10話の製作を打診した。

まだ最終決定はされていない。予算が決まっていなかったのだ。

chapter 5-4. 木槌で頭を叩かれているような感じ

評論もたくさん書いてもらったが、ファンレターもたくさんいただいた。

まるで旧知の友人のように、見知らぬ方からの手紙を受け取ることになった。

それ以来、視聴者はポワロのどこに惹かれているのだろうか、と考えるようになった。

 

第一シリーズの反響は、私自身に対して、というよりは、ポワロに対する反応だった。クリスティが書いたポワロが、関心の第一番目だったからだろうと思う。関心が私にあったわけではない。

視聴者の心をつかんだ理由は、クリスティにあり、そしてその彼女が創造した探偵にある。

 

ポワロが優しい心の持ち主であるのは、クリスティがそう書いたからであって、私がそう変えたわけではない。

また、ポワロが常に礼儀正しく、女性に尊敬の念を抱いているのも、同じ理由だ。

ポワロが時に間違った文法で話し、ヘイスティングスがそれを直すのも、クリステのアイデアであって、私が考えたわけではない。

ポワロが友人たちの悲しみに対して敏感なのも、同じだ。

 

私がしたことと言えば、

ポワロとはこういう人ですよ、と表現して見せただけだ。

まあ、それが私の仕事なのだが。

私は原作と脚本に従っただけだ。

 

このようにしてITVでの放送がはじまったのだが、撮影が始まったころには考えてもいなかったが、ポワロは随分と人気があるのだということに初めて気付いた。

I cannot put my finger on precisely how he does, but somehow he makes those who watch him feel secure.

↑未訳

視聴者はポワロを見ているのが楽しいらしい。

なぜなのか、私にはわかりようもなかったが、ポワロにはそれだけの魅力があるのだろう。

私の演技が期待に応えられてよかったと思う。

 

視聴者からの反応がはっきりと分かるようになってきた。一晩で私宛の郵便袋はファンレターでパンパンになった。第一シリーズが数話放送された頃になると、一週間に100通のファンレターを受け取っていた。

ファンレターのほとんどが好意的だった。

 

まるで木槌で頭を叩かれているような感じがした。

一体何が起こっているのか分らなかったのだ。

chapter 5-3. 木槌で頭を叩かれているような感じ

シリー諸島で過ごした夏を思い出していた。

その時、Geoffreyは言った。

「ポワロは君の人生を変える」と。

だが、まだそんなに実感していなかった。

 

1989年1月の月曜、私はまだまだ疑心暗鬼だった。そうはいっても何も変わりっこない、と思っていた。

 

翌日、火曜日の朝、ロンドンのホテル・リッツで、デイリー・テレグラフ紙のHugh Montgomery-Mssingberdと一緒に朝食を取る約束をしていた。

私は明らかに動揺していた。そこで受けたインタビューが翌朝に掲載されると、私は今まで経験したことのない世界に足を踏み入れることになるのだ、と感じたのだ。

 

Hughは書いた。

「勲章に値するテレビ界の快挙」

そして「ポワロを演じたデビッド・スーシェは昨日の朝、目覚めると有名人になっていた」

 

Hughとは初対面だったが、その朝食の席で意気投合した。食事自体はお互いダイエット中ということもあり、ミュズリーとフルーツだけだったが。

Hughは「今までで一番親しみが持てて、嫌みのない演技」と書いてくれた。

また「感受性豊かで、地味目なアーティスト」であり、

「これからのスターになることは間違いない」とも。

 

翌朝この記事を読んだ時にはかなり動転した。他の評論も常々好意的だった。

放送から一週間たった日曜、「メイル・オン・サンデー」のAlan Corenは

「テレビで放送するにふさわしいポワロ」と書いた。ポワロの役作りはどうやら間違っていなかったようだ。