chapter 5-5. 木槌で頭を叩かれているような感じ

評論もたくさん書いてもらったが、ファンレターもたくさんいただいた。

まるで旧知の友人のように、見知らぬ方からの手紙を受け取ることになった。

それ以来、視聴者はポワロのどこに惹かれているのだろうか、と考えるようになった。

 

第一シリーズの反響は、私自身に対して、というよりは、ポワロに対する反応だった。クリスティが書いたポワロが、関心の第一番目だったからだろうと思う。関心が私にあったわけではない。

視聴者の心をつかんだ理由は、クリスティにあり、そしてその彼女が創造した探偵にある。

 

ポワロが優しい心の持ち主であるのは、クリスティがそう書いたからであって、私がそう変えたわけではない。

また、ポワロが常に礼儀正しく、女性に尊敬の念を抱いているのも、同じ理由だ。

ポワロが時に間違った文法で話し、ヘイスティングスがそれを直すのも、クリステのアイデアであって、私が考えたわけではない。

ポワロが友人たちの悲しみに対して敏感なのも、同じだ。

 

私がしたことと言えば、

ポワロとはこういう人ですよ、と表現して見せただけだ。

まあ、それが私の仕事なのだが。

私は原作と脚本に従っただけだ。

 

このようにしてITVでの放送がはじまったのだが、撮影が始まったころには考えてもいなかったが、ポワロは随分と人気があるのだということに初めて気付いた。

I cannot put my finger on precisely how he does, but somehow he makes those who watch him feel secure.

↑未訳

視聴者はポワロを見ているのが楽しいらしい。

なぜなのか、私にはわかりようもなかったが、ポワロにはそれだけの魅力があるのだろう。

私の演技が期待に応えられてよかったと思う。

 

視聴者からの反応がはっきりと分かるようになってきた。一晩で私宛の郵便袋はファンレターでパンパンになった。第一シリーズが数話放送された頃になると、一週間に100通のファンレターを受け取っていた。

ファンレターのほとんどが好意的だった。

 

まるで木槌で頭を叩かれているような感じがした。

一体何が起こっているのか分らなかったのだ。

chapter 5-3. 木槌で頭を叩かれているような感じ

シリー諸島で過ごした夏を思い出していた。

その時、Geoffreyは言った。

「ポワロは君の人生を変える」と。

だが、まだそんなに実感していなかった。

 

1989年1月の月曜、私はまだまだ疑心暗鬼だった。そうはいっても何も変わりっこない、と思っていた。

 

翌日、火曜日の朝、ロンドンのホテル・リッツで、デイリー・テレグラフ紙のHugh Montgomery-Mssingberdと一緒に朝食を取る約束をしていた。

私は明らかに動揺していた。そこで受けたインタビューが翌朝に掲載されると、私は今まで経験したことのない世界に足を踏み入れることになるのだ、と感じたのだ。

 

Hughは書いた。

「勲章に値するテレビ界の快挙」

そして「ポワロを演じたデビッド・スーシェは昨日の朝、目覚めると有名人になっていた」

 

Hughとは初対面だったが、その朝食の席で意気投合した。食事自体はお互いダイエット中ということもあり、ミュズリーとフルーツだけだったが。

Hughは「今までで一番親しみが持てて、嫌みのない演技」と書いてくれた。

また「感受性豊かで、地味目なアーティスト」であり、

「これからのスターになることは間違いない」とも。

 

翌朝この記事を読んだ時にはかなり動転した。他の評論も常々好意的だった。

放送から一週間たった日曜、「メイル・オン・サンデー」のAlan Corenは

「テレビで放送するにふさわしいポワロ」と書いた。ポワロの役作りはどうやら間違っていなかったようだ。

 

批評もたくさん載ったが、ファンレターもたくさんいただいた。まるで私が旧知のゆうじんであるかのように見知らぬ方からの手紙を受け取ることになった。それ以来私は、ポワロのどこに視聴者は惹かれているのだろうか、と考えるようになった。

第一シリーズの反響は、私自身に対して、というよりは、ポワロに対する反応だった。クリスティが書いてきたポワロが、関心の第一番目だったからだろうと思う。私に関心があったわけではないのだ。視聴者の心をつかんだのは、クリスティでありその彼女が創造した探偵なのである。

ポワロが優しい心の持ち主であるのはクリスティがそう書いたからであって、私がそうしたわけではない。また、ポワロが常に礼儀正しく、女性に尊敬の念を抱いているのも、然り、だ。ポワロが時に間違った文法で話し、へイスティングスがそれを直すのも、クリスティのアイデアであって、私が考えたわけではない。ポワロが友人たちの悲しみに対して敏感なのも、そうだ。

私がしたことと言ったら、ポワロとはこういう人ですよ、と表現して見せただけだ。まあ、それが私の仕事なのだが。私は原作と脚本に従っているだけだ。

このようにしてITVでの放送がはじまったのだが、撮影が始まったころには予想もしていなかったが、ポワロは随分と人気があるのだということに初めて気付いた。

I cannot put my finger on precisely how he does, but somehow he makes those who watch him feel secure. 視聴者はポワロを見ているのが楽しいらしい。なぜなのか私にはわかりようもなかったが、ポワロにはそれだけの魅力があるのだろう。私の演技が期待に応えられてよかったと思う。

視聴者からの反応がはっきりと分かるようになってきた。一晩で私宛の郵便袋はファンレターでパンパンになった。第一シリーズが数話放送される頃になると、一週間に100通のファンレターを受け取っていた。ファンレターのほとんどが好意的だった。

まるで木槌で頭を叩かれているような感じがした。一体何が起こっているのか分らなかったのだ。

ドラマが成功したことは嬉しいのだが、それ以上のなにかがあるようにも感じた。私は俳優で、養わなければいけない家族がいるのだ。ファンレターも批評もありがたいのだが、何より私は働かなければならないのだ。

テレビの仕事が二本きていた。まずトム・ケンピンスキー作の「Separation」、これはポワロの撮影前に、ハムステッドのコメディシアターの舞台で出演したことがあってそれの映像化だ。そしてEdward Bond作「Bingo」、ウィリアム・シェイクスピア役だ。私はこの役を、ストラトフォード・アポン・エイボンに隠居し、金はあるが人生に嫌気がさしていて、一つのことに熱心だが、鬱な感じのある天才、として演じた。

どちらの役もポワロとは似ても似つかない。だが、これらを演じることで、同業の俳優は私がいろんな役をこなせる性格俳優であると分かってくれたように思う。視聴者もそうだと思う。

とはいえ、「名声」を手に入れて、確かに今までとはなんだか勝手が違うようになってきた。ポワロの第一シリーズが放送されて間もなく、雑誌「Hello!」に私と妻の写真が掲載されていた。これまでの私なら、考えられないことだった。Pinnerの新居での私たちを撮ったもので、まるで王族の一員かのような扱いで、世界で成功を収めるセレブリティか何かのようにも書かれていて、こんなことはまったく経験したことのないことだった。

現実はそんなものではないし、セレブリティなんかではない。シェイラと私が本当に気がかりだったのは、このままPinnerに住み続けられるのか、ということだった。ITVネットワークの一員であるロンドンウィークエンドテレビは、ブライアントと私にポワロの第二シリーズ10話の製作を打診した。まだ最終決定はされていない。予算が決まっていなかったのだ。

仕事がないと困るのだ。住宅ローンだってまだたくさん残っている。ポワロ役がつくまでの19年間、私の稼ぎはそんなによくなかった。性格俳優としての評判は良かったのだが、稼ぎにはつながらなかった。

1989年の2月下旬、ITVは第二シリーズの製作を決断した。スケジュールは第一シリーズと全く同じだった。1989年の7月上旬からクリスマスまで撮影、翌年の1月から3月にかけて放送する、というものだ。ただ、第一シリーズでLinda Agranと共にエグゼブティブプロデューサーを務めたニック・エリオットは、ブライアンに1990年1月上旬に放送する第二シリーズ一話目に2時間ドラマを求めてきた。原作はクリスティの中でも有名な「エンドハウス怪事件」である。その後毎週日曜に放送されるのは、1時間ドラマが8本。ポワロはITVテレビの日曜夜枠の定番となったようだ。

評論家の批評がよかったからロンドンウィークエンドテレビが第二シリーズの製作に踏み切ったわけではない。一応気にしてはいたようだが、決め手は視聴率で、ドラマが進むにつれて上がったらしい。そしてこのドラマは、イギリス以外でも放送されることになった。カナダ、アメリカ、ヨーロッパが興味を持っているという。ベルギーでは、これを待つまでもなく放送されていた。

世界中で放送されることになるので、「エンドハウス怪事件」と8話に加えて、第二シリーズの後にクリスティの処女作でありポワロが初登場する「スタイルズ莊の怪事件」の特集を組むようにと、ロンドンウィークエンドテレビはブライアンに要請した。1990年の後半に放送し、クリスティの生誕を祝うという。

第二シリーズの製作が決定されて本当に嬉しかった。私が作り上げたポワロが受け入れられたのだ、とホッとした。これで住宅ローンも払える。あと数年は今の家に住めるのだ。ポワロのおかげで住める家、Elmdeneと名付けた。

そしてまたあのベルギー人の小男を演じることができると思うと、心の底から嬉しかった。このままポワロとサヨナラする気になど、到底なれなかった。彼と歩む人生はまだまだ始まったばかりなのだ。そう、これからだ。

chapter 5-2. 木槌で頭を叩かれているような感じ

シェイラにきいた。

「どう思う?」

「素敵だと思うわ」と彼女。

「もちろん、あなたもね。このドラマは成功すると思うわ」

 

だが私は彼女の言葉を信じていなかった。

私がメインキャストを務めたドラマとしては「Blott on the Landscape」が先に放送されていた。自分は堅物で古典が似合う俳優だと思っていた。イアゴーを演じていた私が、ポワロになりきれるものだろうか。

 

ところが、翌日の月曜朝、それが可能なのだと確信させられた。

少なくとも評論家は好意的だった。ドラマを楽しんでくれたようだし、視聴者も同じようだった。ロンドンウィークエンドテレビから電話があって、昨夜は800万人以上が観たというのだ。イギリスの視聴者数としてはかなり多い。

 

新聞を見て、シェイラに言った。

「信じられない。ベタボメだ」

彼女も驚いていた。

 

例えば、デイリーエクスプレス紙でAntonia Awinsonは、私のポワロを

「比類なき」ポワロと書き、美しく整えられた口髭、細かなディテイルにまでこだわった服装、そしてポワロの性格が完璧なまでに表現されている、そうまさにこれがポワロ、ポワロは今ここにいる、

とまで書いてくれた。

 

その日の午後には、ロンドン・イブニング・スタンダードのJesi Stephenが

「素晴らしい!」と書き、「今までのポワロを超えた。ユーモアを持ち、好奇心みちていて礼儀正しいベルギー人の探偵を、スーシェは見事に演じた」と続けた。

 

chapter 5-1. 木槌で頭を叩かれているような感じ

家族そろってクリスマスを迎えた。

ロバートとキャサリンはまだ幼く、私の両親もシェイラの母親も存命だったので、にぎやかなクリスマスだった。だが、私は心の中でポワロのことばかり考えていた。

体は疲労から回復しつつあったが、視聴者の反応が気になって仕方なかった。

 

クリスマスが開けるとすぐ、ドラマの宣伝が始まった。

すると私も知らされていなかったのだが、ポワロ役についてインタビューされている自分の姿が次々とテレビに映し出されていた。

視聴者は私が演じることにどう思っているだろうか、またこれまでの私を知っている演劇ジャーナリストはどう評価するだろうか、と、考えだしたら止まらくなってしまった。

ありがたいことに大方の意見は好意的だった。

 

一安心したが、実を言うと私は完成したドラマを見ていなかった。

話し合いが必要だと思われたシーンは、ブライアンが、そこここでみせてくれたのだが、スケジュールが非常にタイトだったこともあり、1作品も完成形を観ずじまいだったのだ。

時間ばかりが経ち、そのまま第一話が放送される日が近づいていた。

 

1989年1月6日、金曜の朝、デイリーメール紙で、ベテランのエンタテインメント評論家David Lewinが

「デビッド・スーシェは性格俳優にして、イギリスで初めてのテレビスターになる」と好意的な記事を書いてくれていた。

Lewinは、クリスマス後の宣伝が始まってから、初めて話すことのできた一人だった。

Lewinは、著名な性格俳優であるSir Alec Guinessと私を比較していた。Guinessの代表作にはイーリングコメディ「Kind Hearts and Coronets」やDavid Leanの「Bridge on the Kwai」がある。

私は常々Guinessを尊敬していたので、大変光栄だと思ったが、彼と比べられるなんて身に余る称賛だと恐れ多かった。

 

1989年1月の日曜、私とシェイラは腰掛けてゆっくりと「コックを探せ」を鑑賞した。一体私はどんな風に映っているのか、ドラマの出来はどんなだろうか、そして、そして、視聴者の反応はどうだろうか。

観終わっても、どんな反応が返ってくるのかまったく想像できなかった。

chapter 4-6. 退屈、とか、一般受けしない、とかそんなことにならないだろうか

ポワロを演じていると面白いことの一つに、マナーや常識が現代のそれとは違うことがある。不必要で明確なッドシーンはなく、アルコール依存症もおらず、恐ろし気な探偵もいない。

 

ポワロが生きている世界は、今よりずっとシンプルで、人間味にあふれている。

異国人であるポワロから見ても、古き良き英国である。だから、ポワロの時代が遠い昔のことであっても、このドラマはとても面白いのだと思う。

これは私にとっても同じである。

 

第一シリーズの9作目は「クラブのキング」。

映画監督が殺される事件で、ポワロが撮影現場を訪れるシーンから始まる。撮影はもちろんTwichenhamスタジオで行われた。

 

10作目の「夢」はパイ工場の上にある自宅で、オーナーが密室で殺されるというものである。キャストはこれまた豪華で、重要な役どころの女優の役にNiamh Cusack、パイ工場のオーナー役にはシェイクスピアカンパニーで長年一緒に仕事をしてきたAlan Howard。オーナーの娘役には、Joely Richardson、彼女はこの役がテレビ初出演だった。

 

最後に撮影した「夢」は、1988年のクリスマス前に撮り終えた。

その頃、ロンドンウィークエンドテレビは、クリスマスからちょうど二週間後にあたる1989年1月8日の日曜夜に第一話の放送すると決めた。以後毎週日曜、8時45分から放送され、10話目が放送されるのは3月19日だ。

 

どうしてそのような決断になったのか、実際私はよくわかっていない。ロンドンウィークエンドテレビがポワロの製作に興味がなくなったのではないかと内心びくびくしていた。

なぜなら、当時大ヒットしていた「The Professionals」や「The Sweeney」のようにアクションシーンがあるわけでもなく、最近のMorse and Wexfordシリーズと比べようもなかったからだ。

ロンドンウィークエンドテレビは1989年に放送して、それでおしまいにするつもりなのだろうか?

 

退屈すぎる、とか、一般受けしない、とかそんなドラマになっていないだろうか、と心配だった。

 

1988年12月、撮影最後の日、Twichenhamで撮影クルーやメインキャストと共にパーティをした。ブライアンと私がそれぞれ短いスピーチをした。

 

私はスピーチで、この先このドラマがどうなるかわからない、というようなことを言った。

「このドラマが成功するのかどうか、まだわかりません」と私。

「もし、良い結果が得られなければ、次のシリーズは製作されないでしょう。ですので、私は、今ここで皆さんに伝えなければなりません。皆さんのご尽力に感謝申し上げます。こんなに素晴らしい職場は今まで経験したことがありません。本当にありがとうございました。」

ただ一つ確かだったことは、私はこれまでのどんな仕事よりも疲れた、ということだ。その夜、本当に疲れ果てて、撮影現場を後にした。これから、テレビのゴールデンタイムにトータルして500分間出ずっぱりになる。それにいままで、一日に、14,5時間働いた。考えるのもしんどかった。

ショーンの運転でPinnerにある新居に帰ると、私は倒れこんでしまった。だがクリスマスはもうすぐそこだ。子供たちのためにも、疲れを見せることなく楽しいクリスマスをやり切った。でもシェイラは気付いていた。

その時に自分ができることと言えば、待つことと、ドラマに対する反応を探ることぐらいである。

それに、打ち切りになるのではないか思うと、本当に辛かった。というのも、これほど役作りに熱中し、親しみを感じているポワロを演じることが二度となくなるのかもしれないと思うと、本当に悲しくなってきた。ポワロは私にとってかけがえのない存在になってきていた。

chapter4 -5. 退屈、とか、一般受けしない、とかそんなことにならないだろうか

このドラマシリーズに参加してくれたSuzanneや、他の俳優たちは皆、ドラマに出演することを心から楽しんでくれていた。

皆、子供のころからポワロに親しんでいたようだった。私はこの仕事を引き受けるまで知らなかったというのに。ただ私は日を重ねるごとにポワロとうまく付き合って行けていると思う。

 

6作目と7作目では、ロンドンウィークエンドテレビがこのドラマに大金をつぎ込んでいることを身をもって体験することになった。

「砂に書かれた三角形」は、ギリシャの島でロケが行われ、撮影クルーは全員、島へと飛んだのだ。

 

7作目「海上の悲劇」ではポワロは1930年代製の素晴らしいヨットでクルーズをし、その間撮影クルーは地中海で仕事をし、色々な旧跡を巡ったりもした。

実際、この二作品はクリスティが旅行した時の経験に基づいて書かれおり、イギリスが舞台となっている他の作品とは趣が異なり、海がよくでてくる。

 

「砂に書かれた三角形」で、ポワロは子供用の木製人形を使い、腹話術を披露して見せる。

というわけで、私も視聴者が納得するだけの腹話術を習得する必要に迫られて、苦労した。

またクリスティは、気を付けてさえいればわかるような手がかりをあちこちに散りばめている。その手がかり全てに気付けば犯人が分かるはずなのだが、気づかなかければポワロが謎解きするのを待たねばなるまい。

 

クリスティは作家として優れた才能を持ち、読者に対して常に誠実であろうとした。私も彼女のその姿勢に従いたいと思う。全ての手がかりに気付いたのなら、ポワロと同じ結論に導かれるはずなのだが、普通は一つか二つしか気づかない。だからポワロは偉大な探偵なのである。

 

8作目の「なぞの盗難事件」は、5作目までと同じくイギリスで撮影された。

1936年に設計された新兵器と航空会社に関する話で、その頃は第二回目のヨーロッパ大戦が起こりそうな不穏な空気に包まれていた時期だった。

 

プロデューサーは年代物の飛行機をたくさんかき集めて、なかなか見られないそれはもう迫力ある絵面を構成し、キャストはキャストで億万長者役にはJohn Stride、政治家サー・ジョージ・キャリントン卿役にはJohn Carsonを当てた。

 

終盤のシーンで、この戦闘機の設計図を盗んだ犯人について語っていた場所は、田舎の立派な一軒家だった。ポワロが関係する事件の多くは、貴族や金持ちの屋敷で起こる。

 

「コックを探せ」がちょっと例外で、一般家庭に起こった事件だったが、ポワロは報酬を要求しなかった。ポワロはイギリスの上流階級の欠点を突っつくのを面白がる癖があり、good chapを大事にする彼らを少し嘲笑気味に見ている。

 

 

chapter 4-4. 退屈、とか、一般受けしない、とかそんなことにならないだろうか

「4階の部屋」ではポワロは体調を崩し、退屈しきって不平を言っている。

ポワロが風邪をひいているところから、ドラマは始まり、面白い事件が3週間もないとミス・レモンに愚痴っている。

 

「灰色の脳細胞には刺激が必要なのです(an eternity for a brain like mine)」

 

気分転換にと、ヘイスティングスが芝居へと誘う。それが殺人事件を題材にしているのだが、ありえない人物が犯人になっていると言って、ポワロはカンカンに怒ってしまう。ポワロによると、犯行が可能な人物は執事らしい。

 

ホワイトヘイブンマンションで部屋に向かっている時でも、脚本家の筋書きには納得できないとヘイスティングスに怒っている。

すると、遺体を発見する。途端にポワロの風邪はどこかにいってしまう。

遺体があったのは3階、36Bである。遺体役を演じたのはコメディエンヌのJosie Lawrence。彼女はこの役で、テレビで初めてセリフのある役を演じた。

 

この回のヒロインはSuzanne Burdenが演じていて、この女性はポワロにとって「ふわふわのオムレツ」を作ってくれた愛しいイギリス人女性として記憶されることになる。このことは、ポワロのような男にとってどういう意味を持つのだろうか。

おそらく、ポワロは女性に対して少し距離を置くことでしか、愛情を持つことができないのではないだろうか。

クリスティはポワロのイメージを崩さないためにも、女性関係に関して踏み込んだことは書かなかった。ポワロはいつも「愛」の素晴らしさを語り、女性を称賛することもあるが、いつもどこかしら距離を置いている。私自身はそうでないにしても、なんとなくその気持ちは理解できる。

 

「ふわふわのオムレツ」はポワロのちょっと距離を置いてしまう性格の象徴で、これ以降女性を「愛する」という感情を抱くことはないのだが、このエピソードに私は心惹かれるものがあった。ポワロが本当の愛を経験したことがない、と深く後悔しているのだということが改めて分かった。

 

クリスティは原作で、ロサコフ伯爵夫人にちょっとした恋心を抱かせるような書き方をしているが、こちらの方はあまり心に引っかからない、そんな印象のエピソードだった。