大河ドラマ 光る君へ「おごれる者たち」

弓比べ

有名な「我家から帝がでるならば、この弓よ当たれ」ですね

 

遊びなのに、動揺しすぎな道隆と伊周。。。

動揺するなというわけではなく(だって、そういう脚本なんでしょ?)

顔に出すぎな演技だよね

もっと、目の動きとかで表現できないんでしょうか。デビッド・スーシェや、ヘレン・ミレンみたいに

 

ただ、私のイメージする道隆は、ここで道長の矢が的のど真ん中を射抜いても

「はっはっは、道長は面白いのう」

と笑っているようなイメージだったんですよ。。。

 

あれ、もしかして

私のイメージ、間違ってる?

 

弓を射るとき左手が素手なんですけど、痛くないのかな?

 

でも、弓比べの映像が見れて嬉しかったです。男性は片肌脱ぐのが現代でも通常(?)のようですが、女性は脱がないですよね

ということは、脱がなくても射ることができるけど、なんとなく邪魔だから、脱いでる、って感じなんでしょうか

 

俳優陣の、鍛えられた上腕二頭筋がかっこよかったです、きゃ

 

道綱母石山寺でご対面

二人が対面したかどうかの資料はないと記憶していますが、私は学者でもないですので、そこは突っ込む気にはなりません。ドラマの主人公が当時の女流作家と交流するシーンを描くことによって、古典に興味を持つ視聴者が増えてくれたら、私は単純に嬉しいです

紫式部が、みっちゃん、じゃない道綱母蜻蛉日記を読んでいたというのは、かなり信憑性が高いとされているようで、道綱母は、六条の御息所のモデルという一説もあるようです。

というのも、道綱母は本朝三美人とも謳われた才媛で、和歌も裁縫も上手(当時の良き妻の条件は裁縫で、料理ではなかったらしい。あ、でもまひろは料理してましたね)

六条の御息所とは身分こそ違いますが、それを除けば、女性としてはかなりハイスペックだったようです。

 

なもので、気位というか、プライドも高い(笑)

 

ドラマの道綱母は、なんかちょっと天然入った不思議ちゃんがオバさんになった、という感じですが

 

それよりもこの石山詣は、脚本が意地悪でしたよね(笑)

往路では、さわチャンが「いつまでも女同士仲良くしよーねー」とか言ってたのに

石山寺で男が介入(男が道綱というのが、やっつけ感ありますが)した途端に、復路では友情ぶち壊れ、みたいな

「女の友情は血よりも濃くて、恋より脆い」

って、たかが10分くらいでそんなエピソード盛り込まんでも。。。

何かの伏線なんでしょうかね

 

清少納言の宮仕え

桔梗が十二単を全く着こなしていない感じは、あえて、ということでいいんですよね

また、桔梗が定子を見上げて「きれい」という心うちのナレーションが、入るんですけど、いらない思います

それとも何?

そんなことも演技で表現できないのかね

 

いや、流石に私でも、ウイカさんの演技が、何を表現したいかわかりましたし、むしろやり過ぎ感漂ってて、苦笑したんですけど、さらに、そこにナレーション入ってびっくりしたわ

これは完全な演出サイドの問題ですよね

 

まひろが道綱母に出会って、書くことに目覚めるというのは、私としては良かったな、というか、ここか、と思って見てました。

一般的な説としては、結婚まもなく死に別れた夫を悲しんで、その悲しみを癒やすためではないか、ということだったように思いますが、ドラマでは道長との失恋がきっかけになってるっていう感じでしょうか

引きずるなあ、失恋。。。

失恋?

あれ、失恋だったのか。。。

失恋。。。たぶん。。。?

まひろも道長も、どっちもドリーマーだったよね

 

〈誰も共感しない管理人の萌ポイント〉

道隆が出仕をサボって家にいる時、直衣をふんわり適当にまとっただけで、だらしなく着て(?)歩いていたシーン

 

「マリス博士の奇想天外な人生」自伝

PCRノーベル化学賞を受賞したキャリー・マリスによる自伝です

当たり前ですが、日本語のタイトルと原題は、全く違います。

 

めっちゃ頭が切れて学業だってバッチOK、ナンパが趣味で、ドラッグもやっちゃうし(彼の名誉の為に付け加えますと、アヘン等が非合法ではない時代あったようです)、博士号(PhD)だって持ってるし、生化学の論文をパブリッシュして、ノーベル賞ゲットだぜ! あ、でも本業サーファーなんで、そこんとこよろしく、みたいな人生です

(まとめ方がめっちゃ雑です。マリス博士に本当に興味ある方は、ちゃんとこの本を読むように)

 

マリス博士が、一般に想像されるような研究室にこもっているような研究者ではないいことは、事前情報を得ていたためか

「ふぅん」

という感じ読み進めていたのですが

 

私がこの本で「えー」と「ほっほう」と思った二人の女性についての記載でした。

 

ナンパ相手じゃありませんよ?(笑)

 

まず

「えー、そりゃ、あんまりだよ。。。」

と思ったのは、皇后美智子様(当時)の置かれている状況

マリス博士が美智子様に「私の本をあなたに郵便でお送りしますから、ぜひとも読んでください」みたいなことを言うのですが、美智子様は、私宛の郵便物はまず宮中の者が確認し、OKということにならなければ、私の手元には来ません。また、私が読む本は事前に、宮中の者が読んで確認してからでないと私は読めないのです、と仰られるのです。

 

うっそーーーーん

 

読みたい本を読む自由もないの!?

 

紀宮清子さんが侍従にお願いして、コミケで同人誌をゲットしたことがある、と何かで読んだ(なにで読んだんだ、私。微笑ましいエピソードですよね)んですが、清子さんが読まれる前に、侍従も同人誌を読んだんだろうか。。。その場面を想像すると、ちょっと笑える。。。

 

女性宮家創設の可能性が出てきたときに、内親王や女王たちは、皇室に残ることは希望されていない、と宮内庁の誰かが意見を述べられていました。

 

真子様が、お金なんかいらない、と言ってまで逃げるようにニューヨークに行ってしまわれたり

 

佳子さまが

「ママ(紀子様のこと)は、望んでここ(皇室)に来たんでしょ。お姉ちゃんと私は生まれた時から、ここしか知らないんだよ(つまり、自分で希望して皇族になったわけじゃない)」ということを言ったとか言わないとか、週刊誌に書いてありましたが(真偽のほどは知りませんが)

 

いやはや、想像を絶する自由のなさよ

 

まあ、皇后様と内親王や女王では同じ境遇というわけではないと思いますが(クラブ通いしていた女王様、いましたよね?)、皇族の特権と不自由さのどちらを取る人生か、ということを、今の皇女たちは選べるわけで

そうなると。。。、ということかな

 

「ほっほう」と思ったのは、ファースト・レディ(当時)、ヒラリー・クリントン

 

民主党アメリカへの皆保険制度導入に肯定的な政党だと思うのですが、マリスが彼女に会ったときに、他国の皆保険制度について、どのくらい知っているのか、彼女を試します

彼女はマリス博士が尋ねた2カ国の皆保険制度について、自ら正確に説明したのです。専門のスタッフを呼ぶことなく。

 

むぅ。。。

 

すごいですね

マリス博士は「たいした女だ」と、旦那であるビルよりも、彼女に対して感服します。

 

ヒラリーは、大統領よりも実務向きな気がします

 

というわけで、マリス博士自体にはなんの興味も持てなかった管理人による感想は以上です

ごめんね、博士

「時代考証」

友人に学芸員の卵がいまして

彼女いわく学芸員仲間では

「自分の専門時代の大河ドラマは見れない」

というのがあるそうです。

なんかもう、ツッコミどころ満載だそうです。

 

それを聞いたのが20代でしてね

大河ドラマにはちっとも興味なかったですし、日本史にも興味ないもので

(じゃあ、何に興味あったんだヨ、という感じですが)

「へぇ〜、そうなんだ〜(棒読み)」

みたいな対応で流してまして。

 

「光る君へ」の放送開始2年くらい前から、ぼちぼちと平安時代の物語を読んだり、にわか弱小平安オタクっぽくなってしまった私でさえ(ただの偶然です)

「光る君へ」を見て

「うそーん」

と突っ込む箇所があるのですから、

学者様や学芸員の方からしたら

「こんなの平安時代じゃないし!」

とブチ切れて泡吹くか

開き直って

「ライトな平安テイスト風現代ドラマ、でもなんか見覚えのある歴史事件が出てくるような気もしないでもない」

みたいな感じで目を細めて見ていらっしゃるか

どちらかのような気がします

 

かと言って、平安時代をまんま再現されたら嫌だよ、というのも、いくつか私にはあります。

まず、化粧。

お歯黒、麻呂眉、白塗り

はマジ勘弁、です

 

もうこの辺はホラーの域ではないでしょうか

夜8時のゴールデンタイム、良い子もまだテレビを鑑賞する時間帯

泣くよね、間違いなく

 

麻呂眉、白塗りは映画「千年の謎」で室井滋さんが実践(?)されてましてね

ただ、この化粧は「敵役」的な感じで導入されていたような感じがいたします

だって、室井滋さんだけでしたからね

流石に室井滋さんもお歯黒は省略されてましたよ

 

おじゃる丸」の主人公が、麻呂眉、白塗りなんですけど、あれは、なんか、違うよね。。。

 

最近はお雛様も、麻呂眉じゃないしね

 

ただ、検索していると大河ドラマ平清盛」の画像が出てくるんですが、貴族階級の俳優さんはけっこう律儀に「白塗り、麻呂眉」メイクだったんですね

 

兎にも角にも、この化粧の現代化はウェルカムですよ

(「ジャパネスク」世代ですからね)

 

で、「分かる、分かるよ、その変更」と頭では納得してもツッコんでしまうこと

 

その1

姫が部屋の中で立ってウロウロしている

まあね、ズリズリと膝行膝退ばっかりしてたら、絵的になんかつまんないですよね。それに、板敷きの上を、膝行膝退ばかりしていたら、俳優さんも膝を痛めてしまうでしょうしね

しょうがないよね

 

その2

扇はどこ行った、特に姫たち

これは前回書いたので省略

 

その3

御簾が日中常に全開

 

宮中の御簾がね、常に青簾なんですよ!

(撮影用は青竹じゃないとは思いますが)

これはすっごくいいなあ、っ思ってみてます。

そっかー、きっと青竹のいい香りが漂っていたんだろうなあ、という新たな発見とともに想像しています。

一方、貧乏まひろ家は、青竹や白木でないところが、「極貧」感を醸し出していて、なるほどなあ、と思っています

(にわか平安マニアなんてこんなもんですよ。チョロいでしょ?)

で、その御簾が常に昼間はフルオープン!

え、もしかして開いてるのが時代考証として合ってるのかな?

と思ってしまうほどに

 

極稀に降ろしてあって、誰かが庇と母屋を出入りするたびに、女房が二人がかりで御簾を上げ下げしている。妻戸から出入りしないんだね。。。

 

源氏物語とかでは基本、御簾は降ろされてましたよね?

姫君たちの姿が常に外に晒されちゃって、いいんでしょうか

でも、映像的には常に降ろしっぱなしじゃ、室内がなんか暗くなっちゃうし。。。

女房たちが御簾を上げ下げするだけのために、役者さん(エキストラ?)が必要になるし、しょうがないよね

 

その4

衣装の色の濃淡が、老若で逆

私が得た知識では若い人は濃き色、年を取ると薄い色(淡い色)にシフトしていくということでした

 

これが「光る君へ」では真逆

若い道長や四納言(実資除く)は、パステルカラーの直衣で、兼家が濃紺

まひろパパも、未来のまひろ夫(パパと近い年頃のハズ)も結構濃い色の狩衣で、まひろ弟はパステルカラー

見るたびに、逆、だよなあ。。。

と、ツッコンでしまうのですが、これは現代の感覚に合わせて「あえて」の変更なんでしょうね。。。

と思ってみています

 

うーん

ド素人の私でさえ、サラッとこれだけ出てくるのだから「プロ」は、どんなツッコミされるのか気になるわ

 

紫式部の初名が「まひろ」、清少納言が「ききょう」かどうかなんて、考えるだけ野暮ですよ。。。

 

でもね、ああ、そうか

と、教えてもらうこともあるんです。

 

青簾もだけど、宮中や兼家の家では、身分によって、歩いている場所がきちんと分かれているんです。

安倍晴明が帝と対面したとき、清明は外でしたよね

そういうところとか

このときの清明の身分や位は知りませんが(え、調べてないですが。。。)

六位以下なのかなあ、とか

 

そんなゆるい感じで、気まぐれに鑑賞しております

#光る君へ

オリジナルキャラの行方

大河ドラマ「光る君へ」を見て、私は貴族階級ではないキャラは「オリジナルキャラ」だと思ってみています(ガイドブックとか買ってないし)。

 

直秀(早々にお亡くなりに)とか

まひろの弟の乳母「いと」とか諸々

 

ただ、もう「まひろ」も「藤原道長」も

これまでのところ、

第1四半期は

ほぼほぼ99%「オリジナルキャラ」で、進んでましたよね?

 

それとも

ああいう「史実」でもあるのか

わりゃ

 

 

まあ、全く真面目に観てなない分際で申し訳ないのですが

直秀がまひろに、

「京を出る。一緒に海を見に行かないか」というシーンがありました。

まひろは、直秀の方を見つめながら、でもその瞳には直秀ではなく、まだ見たことのないはずの「海」を見ているかのように

「行っちゃおっかな」

と応えるのです。

 

そこでの吉高さんの演技が、すっごくよかった!

 

もうあの時、まひろは浜辺に立ってましたよ

 

直秀も、

あ、やべ、この女ほんとに一緒に来ちゃいそう

と思ったからこそ、笑い飛ばして

「お前は京から出ないだろ」

みたいなことを言った、と解釈しています。

 

いやー、この直秀、いいキャラじゃないかー

どう育つか楽しみー

 

と思ったら、その次の回であえなく抹殺されてしまいましてね。。。

 

大河ドラマの感想を書かれているブログを拝見すると「オリジナルキャラには、ここらへんで退出してもらおうという判断じゃないか」と書かれていらっしゃったのですが、

まひろも道長もオリジナルキャラばりの設定でやってきたのに、今更、一人いなくなったからって何か不都合でも?

 

むしろ、全編通じて、もっと関わらせてほしかったなあ。。。

 

堂々と「オリジナルキャラ」を使ってほしい

変に「優等生」ぶったドラマはやめたらいいのになあ

 

私は大河ドラマをほとんど見てない人生なんですが、こういうのが大河ドラマの「セオリー」なの?

 

 

貴族階級だけど、主役級の堂々たるオリジナルキャラ「オスカル様」

 

↑これぐらい、ぶっちぎってほしいよ

 

平安時代風の衣装を着た現代ホームドラマ、ちょっと政治あり、みたいな感じだな、と思って鑑賞しております

今のところ

 

山内直実さんの漫画「なんて素敵にジャパネスク」「ざ・ちぇんじ!」を読んでいた頃は、女性が檜扇、男性が蝙蝠なのかな

と思っていたのですが、季節性もあるようで、女性も蝙蝠を使うことがあるらしい

 

宇治の源氏物語ミュージアムで上映されているアニメ(「猫が光源氏に恋をした」タイトルだけじゃなく、内容もお腹がよじれるほど笑えてオススメ。え?褒めてますよ!)では、女性陣が蝙蝠を手にしているシーンがありました。

 

映画「千年の謎」も

大河ドラマ「光る君へ」も

姫君たちはみんな扇持ってないよね?

たまーに、手にしている時もあるけど

 

稀です(ドヤ顔)

 

まあ、扇で顔を隠されちゃうと

「誰やねん?」

となって、ドラマが混迷してしまうから、しょうがないっちゃしょうがないんだけど

 

閉じてていいから、せめて手に扇を持つくらいしてくれよ。。。。

 

と、どうしても思ってしまう私がおかしいんでしょうか

 

なんであんなに扇持ってないの?

もしかして、扇持たないのが時代考証として正しいの?

 

一方、大河ドラマ「光る君へ」では

男性陣の蝙蝠の使われ方が面白くって、

師貞親王(後の花山院)が足で扇を弄んでるのとか、

四納言の誰か(四納言のうち、誰が誰か判別ついてないのよ、私。流石に実資はわかるけど。←当たり前)が、首の後ろあたりに、半開きになった蝙蝠を差しているのとか、面白いなあ、とニヤニヤしながら見てるわけです

 

おかしいのか

私。。。

 

大河ドラマ 光る君へ「星落ちてなお」

星?

なんじゃらホイ、と思っていたら兼家が死ぬ回だった

 

蜻蛉日記の作者、道綱母が、死の床にいる兼家に、息子(道綱)のことをしつこく売り込む(?)シーンは、笑っていいんでしょうか

 

道綱が

「パパが死にかけてるのに、それはないよ、ママ」

みたいセリフと、言い方も良かったよね

この道綱の「間」の取り方がいつもいいなあ、と思って見ています。

 

で兼家は邸の庭で一人、誰にも看取られず死を迎えます。朝方、道長が発見する、というシーンあるんですけど。。。

前々から思っていましたが、この邸、家人がいなさすぎないかい?

女房とかあまりにも出てこないよね?この家。。。

 

で、一番楽しみにしてたのは、一条くんと定子ちゃんのシーンですよ

 

いやー、吉田羊さん(一条帝の実母)の演技は良かったよね

正直、今までの吉田羊さんの演技は、いいのか悪いのか、ちょっとよくわかんなかったんですけど、今回のシーンは、うまいこと「ハマった」という感じでしょうか

 

ママ、こっわー。。。

みたいな。うん、いい感じだ

 

何なんだ、心の持ちよう、って。。。みたいな

ちょっとハラスメントっぽかったし。

 

「ボク、ママより定子お姉ちゃまがいい」

っていう、一条帝の心の声が聞こえてきませんでしたか?

聞こえましたよね?(圧)

 

あれ?

私だけ?

 

高畑充希さんもいいですよね!

最初に配役だけ見たときは

「へぇ。。。」

っていう、感想だったんですけど、高畑充希さんは、やっぱ演技うまいですよね

嫌味なく上手だ〜

表情によって美人に見えたり、どうってことない普通の女の子になることができる本当に「女優さん」なんですけど、定子は見事に「美人」になりきってますよね!

 

「また、お上の勝ちです」

っていう声とか、言い方がね、私のイメージ通りの定子だったのよ!

 

なのに、なんかね、道隆がさ

イマイチ、パッとしないんよ。。。

影が薄いんだよね。。。

なんでや。。。

うーん、違うんよ、そうじゃないんよ、

っていうのが拭いきれない

原因は何?

演出?脚本?演技?全部?

 

ともかく、仲の良い一条帝と定子ちゃんが見れて嬉しかった!

まだ、お姉ちゃんと弟って感じですが、それがまた、とっても微笑ましかったです

 

あとは、

安倍晴明の存在意義が、よくわからなくなってきた。。。「陰陽師」ファンとしては、ちょっと見ててツライのよ。。。なんか狂言回し的な?使われ方よね?

「次の星は短い」とかさ。

うん、知ってる

 

あと、どうしても納得いかないんですが、どう書いていいのかまでは解らないのですが

まひろの弟子である女の子と、その親についての描き方が

「文字を知っている側と知らない側

(この平安時代でいうと、貴族と平民、

つまりは先進国と発展途上国という感じだに解釈できると思う)」

が、ステレオタイプ(いい意味での言葉として使っていない)過ぎて、

え、令和になってもこんな一元的な描き方しかできないの?

っていう、憤りを覚えました。

 

そういう「奢り」は、もうやめませんか。。。

 

せめて、この可愛らしいお嬢ちゃんの父親についての何らかの描写が、今後あることをを願う

 

#光る君へ

「数学する人生」岡潔(編 森田真生)

森田真生さんの「師」である岡潔さんのエッセイや、大学の講義を、森田真生さんが「ガイド」となって編集してくださった本です。

 

岡潔夫人のエッセイが一つ入っているのですが、これがめちゃ面白いです。

 

森田さんが、数学者は数字に強くないですよ、という有名なエピソードをTED Talksでも披露してくださっていますが、岡潔も、物の値段を間違って覚えています。

夫人から「一桁間違っておるのです」と突っ込まれるダメダンナ。。。

 

岡潔のエッセイ「春宵十話」も手に取ったのですが、正直なところ内容については、反論もできず、賛成もしがたく、納得もできず。。。

という、なかなか、んー、な感じで。

 

一方、こちらの「数学する人生」は森田さんが程よく「ガイド」してくださるのが心地よく、最後まで読めました。

 

内容は、やはり、理解したとは言い難いのですが、森田さんが自分で岡潔の思考に近付こうとしているアプローチが見えて、そこは面白かったです

 

この本のカバー写真が美しくて、これはどこなのだろうか

 

#森田真生