chapter 4-6. 退屈、とか、一般受けしない、とかそんなことにならないだろうか

ポワロを演じていると面白いことの一つに、マナーや常識が現代のそれとは違うことがある。不必要で明確なッドシーンはなく、アルコール依存症もおらず、恐ろし気な探偵もいない。

 

ポワロが生きている世界は、今よりずっとシンプルで、人間味にあふれている。

異国人であるポワロから見ても、古き良き英国である。だから、ポワロの時代が遠い昔のことであっても、このドラマはとても面白いのだと思う。

これは私にとっても同じである。

 

第一シリーズの9作目は「クラブのキング」。

映画監督が殺される事件で、ポワロが撮影現場を訪れるシーンから始まる。撮影はもちろんTwichenhamスタジオで行われた。

 

10作目の「夢」はパイ工場の上にある自宅で、オーナーが密室で殺されるというものである。キャストはこれまた豪華で、重要な役どころの女優の役にNiamh Cusack、パイ工場のオーナー役にはシェイクスピアカンパニーで長年一緒に仕事をしてきたAlan Howard。オーナーの娘役には、Joely Richardson、彼女はこの役がテレビ初出演だった。

 

最後に撮影した「夢」は、1988年のクリスマス前に撮り終えた。

その頃、ロンドンウィークエンドテレビは、クリスマスからちょうど二週間後にあたる1989年1月8日の日曜夜に第一話の放送すると決めた。以後毎週日曜、8時45分から放送され、10話目が放送されるのは3月19日だ。

 

どうしてそのような決断になったのか、実際私はよくわかっていない。ロンドンウィークエンドテレビがポワロの製作に興味がなくなったのではないかと内心びくびくしていた。

なぜなら、当時大ヒットしていた「The Professionals」や「The Sweeney」のようにアクションシーンがあるわけでもなく、最近のMorse and Wexfordシリーズと比べようもなかったからだ。

ロンドンウィークエンドテレビは1989年に放送して、それでおしまいにするつもりなのだろうか?

 

退屈すぎる、とか、一般受けしない、とかそんなドラマになっていないだろうか、と心配だった。

 

1988年12月、撮影最後の日、Twichenhamで撮影クルーやメインキャストと共にパーティをした。ブライアンと私がそれぞれ短いスピーチをした。

 

私はスピーチで、この先このドラマがどうなるかわからない、というようなことを言った。

「このドラマが成功するのかどうか、まだわかりません」と私。

「もし、良い結果が得られなければ、次のシリーズは製作されないでしょう。ですので、私は、今ここで皆さんに伝えなければなりません。皆さんのご尽力に感謝申し上げます。こんなに素晴らしい職場は今まで経験したことがありません。本当にありがとうございました。」

ただ一つ確かだったことは、私はこれまでのどんな仕事よりも疲れた、ということだ。その夜、本当に疲れ果てて、撮影現場を後にした。これから、テレビのゴールデンタイムにトータルして500分間出ずっぱりになる。それにいままで、一日に、14,5時間働いた。考えるのもしんどかった。

ショーンの運転でPinnerにある新居に帰ると、私は倒れこんでしまった。だがクリスマスはもうすぐそこだ。子供たちのためにも、疲れを見せることなく楽しいクリスマスをやり切った。でもシェイラは気付いていた。

その時に自分ができることと言えば、待つことと、ドラマに対する反応を探ることぐらいである。

それに、打ち切りになるのではないか思うと、本当に辛かった。というのも、これほど役作りに熱中し、親しみを感じているポワロを演じることが二度となくなるのかもしれないと思うと、本当に悲しくなってきた。ポワロは私にとってかけがえのない存在になってきていた。

chapter4 -5. 退屈、とか、一般受けしない、とかそんなことにならないだろうか

このドラマシリーズに参加してくれたSuzanneや、他の俳優たちは皆、ドラマに出演することを心から楽しんでくれていた。

皆、子供のころからポワロに親しんでいたようだった。私はこの仕事を引き受けるまで知らなかったというのに。ただ私は日を重ねるごとにポワロとうまく付き合って行けていると思う。

 

6作目と7作目では、ロンドンウィークエンドテレビがこのドラマに大金をつぎ込んでいることを身をもって体験することになった。

「砂に書かれた三角形」は、ギリシャの島でロケが行われ、撮影クルーは全員、島へと飛んだのだ。

 

7作目「海上の悲劇」ではポワロは1930年代製の素晴らしいヨットでクルーズをし、その間撮影クルーは地中海で仕事をし、色々な旧跡を巡ったりもした。

実際、この二作品はクリスティが旅行した時の経験に基づいて書かれおり、イギリスが舞台となっている他の作品とは趣が異なり、海がよくでてくる。

 

「砂に書かれた三角形」で、ポワロは子供用の木製人形を使い、腹話術を披露して見せる。

というわけで、私も視聴者が納得するだけの腹話術を習得する必要に迫られて、苦労した。

またクリスティは、気を付けてさえいればわかるような手がかりをあちこちに散りばめている。その手がかり全てに気付けば犯人が分かるはずなのだが、気づかなかければポワロが謎解きするのを待たねばなるまい。

 

クリスティは作家として優れた才能を持ち、読者に対して常に誠実であろうとした。私も彼女のその姿勢に従いたいと思う。全ての手がかりに気付いたのなら、ポワロと同じ結論に導かれるはずなのだが、普通は一つか二つしか気づかない。だからポワロは偉大な探偵なのである。

 

8作目の「なぞの盗難事件」は、5作目までと同じくイギリスで撮影された。

1936年に設計された新兵器と航空会社に関する話で、その頃は第二回目のヨーロッパ大戦が起こりそうな不穏な空気に包まれていた時期だった。

 

プロデューサーは年代物の飛行機をたくさんかき集めて、なかなか見られないそれはもう迫力ある絵面を構成し、キャストはキャストで億万長者役にはJohn Stride、政治家サー・ジョージ・キャリントン卿役にはJohn Carsonを当てた。

 

終盤のシーンで、この戦闘機の設計図を盗んだ犯人について語っていた場所は、田舎の立派な一軒家だった。ポワロが関係する事件の多くは、貴族や金持ちの屋敷で起こる。

 

「コックを探せ」がちょっと例外で、一般家庭に起こった事件だったが、ポワロは報酬を要求しなかった。ポワロはイギリスの上流階級の欠点を突っつくのを面白がる癖があり、good chapを大事にする彼らを少し嘲笑気味に見ている。

 

 

chapter 4-4. 退屈、とか、一般受けしない、とかそんなことにならないだろうか

「4階の部屋」ではポワロは体調を崩し、退屈しきって不平を言っている。

ポワロが風邪をひいているところから、ドラマは始まり、面白い事件が3週間もないとミス・レモンに愚痴っている。

 

「灰色の脳細胞には刺激が必要なのです(an eternity for a brain like mine)」

 

気分転換にと、ヘイスティングスが芝居へと誘う。それが殺人事件を題材にしているのだが、ありえない人物が犯人になっていると言って、ポワロはカンカンに怒ってしまう。ポワロによると、犯行が可能な人物は執事らしい。

 

ホワイトヘイブンマンションで部屋に向かっている時でも、脚本家の筋書きには納得できないとヘイスティングスに怒っている。

すると、遺体を発見する。途端にポワロの風邪はどこかにいってしまう。

遺体があったのは3階、36Bである。遺体役を演じたのはコメディエンヌのJosie Lawrence。彼女はこの役で、テレビで初めてセリフのある役を演じた。

 

この回のヒロインはSuzanne Burdenが演じていて、この女性はポワロにとって「ふわふわのオムレツ」を作ってくれた愛しいイギリス人女性として記憶されることになる。このことは、ポワロのような男にとってどういう意味を持つのだろうか。

おそらく、ポワロは女性に対して少し距離を置くことでしか、愛情を持つことができないのではないだろうか。

クリスティはポワロのイメージを崩さないためにも、女性関係に関して踏み込んだことは書かなかった。ポワロはいつも「愛」の素晴らしさを語り、女性を称賛することもあるが、いつもどこかしら距離を置いている。私自身はそうでないにしても、なんとなくその気持ちは理解できる。

 

「ふわふわのオムレツ」はポワロのちょっと距離を置いてしまう性格の象徴で、これ以降女性を「愛する」という感情を抱くことはないのだが、このエピソードに私は心惹かれるものがあった。ポワロが本当の愛を経験したことがない、と深く後悔しているのだということが改めて分かった。

 

クリスティは原作で、ロサコフ伯爵夫人にちょっとした恋心を抱かせるような書き方をしているが、こちらの方はあまり心に引っかからない、そんな印象のエピソードだった。

chapter 4-3. 退屈、とか、一般受けしない、とかそんなことにならないだろうか

だが、私も俳優であるからして、このシーンをどう演じたらいいかわかっている。

直感的に、どう演じるべきかも、演じ方もわかっている。ポワロのことはよくわかっていたので、誰かに教えてもらう必要もなかった。誰よりもうまくできると思った。

 

ポワロも私も完ぺき主義者なので、犯人解明のシーンに誰の手助けも必要ないのだ。

私とポワロはよく似ているが、個々の人間であることも脚本の行間に感じることがあった。

 

ポワロが痛ければ私も痛い。私が戸惑えばポワロも戸惑う。

 

ポワロと自分はうまいこと共存していた。

 

5作目は「4階の部屋」で、ポワロが女性に対する敬意を表すシーンで、それは表現されている。

ポワロの住居兼事務所がある、ホワイトヘイブンマンションは、実際の名前はフロリアンコートと言い、ロンドンのチャーターハウススクエアにある。14世紀に建てられた修道院で後にチューダー家の屋敷になる建物や、17世紀に建てられた学校や養老院が近くにある。

 

スミスフィールドマーケットにも近く、チャーターハウスはロンドンにあるスクエアの中でも最も美しい隠れた名所である。

ロリアンコートは1936年、スクエアの東側に建設された。9階建てで、屋上の庭と室内プールがあり、全体にアールデコ様式の建築が施されている。

ロンドンにあるアールデコ様式の建築物の中でも、よく保存されていると思う。ポワロはここの6階、56B(イギリスの5階、日本では6階)に居を構えている。

 

Regalian不動産が1890代に改装を行い、撮影に使用することを許可してくれた。

だが、やはり少し老朽化しているのは否めなかった。ドラマの時代設定である1936年から38年には、外壁はもっときれいだったはずだ。クリスティは大半の作品をそれより以前に発表しているが、ブライアンはドラマの最初から、時代設定を1936年から38年の雰囲気とする、としていた。

 

chapter 4-2. 退屈、とか、一般受けしない、とかそんなことにならないだろうか

「ミューズ街の殺人」の撮影が終わるとすぐに4作目「24羽の黒ツグミ」の撮影に入った。

このころになると、Twichenhamでの撮影が私のスケジュールのすべてになっていた。毎朝6時半に家を出て、Pinnerに帰るのが夜の八時半か九時。

1988年の7月からクリスマスまで、シェイラと子供たちは、私と一緒にいる時間がなかった。家に帰ってからも翌日の撮影に向けて、セリフを覚えなければならなかった。

その頃には、前日にセリフを全て覚えるのはとてもじゃないが無理なので、二週間前にはセリフを一通り頭にいれておくことにしていた。

 

ドラマの終盤でポワロは主要な登場人物を集めて、もちろんヘイスティングスジャップ警部もそこに含めて、事件について正確に説明しなければならないので、セリフも多くなりそこが大変だった。

なので毎日撮影が終了した後に、長い長いスピーチを自主練習しているような感じだった。ある時は撮影の間中、終盤のセリフを眺めていたのだが、覚えていても、撮影前日にはすべて忘れているのだった。

 

ポワロが事件を解決するシーンでは一言一句間違えないように気を付けた。また、事件が解決されるシーンには、長台詞とは別の問題もあった。それはポワロの問題でもあり、俳優としての私の問題でもあった。

 

クリスティは犯人が分かる終盤のシーンで、ポワロに芝居がかったようなしゃべり方をさせている。

ポワロは犯人が分かっており、事件について説明しながら部屋の中を歩き回る。

そして実際には罪を犯していない人が犯人であるかのようにしゃべり、無実を証明する。この効果によって、真犯人が明らかになる過程がスリリングなものになっていく。

 

つまりこのシーンではポワロも「演じている」のである。

 

事件解明の場に集まった人たちを動揺させ、犯人を明かす、それがこのシーンの肝である。

ポワロは私以上に俳優なのである。

chapter 4-1 . 退屈、とか、一般受けしない、とかそんなことにならないだろうか

第一話の撮影が終了してからちょうど二週間後、第二回目の撮影が始まった。この二回目に撮影されたエピソードは第三話として放送された。

タイトルは「ジョニー・ウェイバリー誘拐事件」。地主マーカス・ウェイバリーの息子を誘拐するという脅迫文が届く、という事件である。マーカス・ウェイバリーを演じたのは旧友Geoffrey Batemanである。

 

Geoffrey Batemanとは1971年にコンナートシアターで一緒に仕事をしたことがあった。1950年の日本映画「羅生門」を舞台化したもので、彼は侍を演じた。

私は俳優として駆け出しのころだったので、立ち回りや追いはぎの役をやっていた。

Geoffrey Batemanは今回、地主の役で、若干落ち目の田舎の屋敷の主人、そして息子が誘拐されるかもしれない、という設定である。ディレクターは第一話と異なり、Renny Rye。若干40歳、第一シリーズで5話分のディレクターを務めることになる。

Rennyの経歴は、テレビで子供向け番組「Blue Peter」から始まる。その後、演劇科を卒業する。彼はポワロの制作メンバーとして1991年まで参加し、その後、イギリスのドラマシリーズ「Midsomer Murders」と「Silent Witness」を監督する。

 

「コックを探せ」のディレクターだったEd Bennettはスケジュールの都合で、編集室にこもりっきりになっていた。

そこで今回はRennyがディレクターとなった。Edは次の撮影でメガホンを取り、その間Rennyが編集作業、という具合だ。1989年の1月に放送を間に合わせようとすると、つまり撮影終了から3週間後ということなのだが、ロンドンウィークエンドテレビから提示されたスケジュールに合わせて20週間で撮影を終わらせないといけないので、ディレクターが1話ごとに交互に代わるというのは苦肉の策だった。

 

「ジョニー・ウェイバリー誘拐事件」では、またもやポワロは田舎に嫌気がさしている。ヘイスティングスの愛車ラゴンダが故障して、歩く羽目になった時もぶつくさ言っている。この故障のせいで、誘拐事件に間に合わなくなるのだが。

田舎をものともしないジャップ警部は警官を複数引き連れて、誘拐事件を未然に防ごうとするのだが、失敗する。ポワロは、この誘拐は家族を良く知る人物の犯行だと気づき、ジョニーを見つけるのに成功する。

 

撮影を重ねるにしたがって、ヒューともフィリップとも仲良くなっていった。

3作目「ミューズ街の殺人」の出だしのシーンは、ガイ・フォークス・ナイトの花火の後夕食を終えて、ヘイスティングスがミューズ街の車庫にラゴンダを停め、3人が家の方へと歩いているところから始まる。もちろん他の出演者とも仲良くなれた。

David Yellandは「ミューズ街の殺人」のメインゲストだ。彼は「Chariots of Fire」で皇太子役を演じ、オスカーを受賞している。ケンブリッジで英語を学び、私より1歳若く、今回は野心的なチャールズ・レイヴァートン=ウェストを演じ切った。

 

chapter3-5. 申訳ないが、その衣装は着ない

しかも後日、ロンドンウィークエンドテレビが10話ある第一シリーズ作成のために、ブライアンに対して500万ポンドをつぎ込んだことを知った。一話作成に、50万ポンド!1988年は恵まれていたのだ。

第1話では、ポワロのキャラクターをちゃんと表現できただけではなく、彼の印象を良くすることもできたと思う。トッド夫人のメイドに見せた優しさ、そのおかげで湖水地方に来ることになり、失踪したコックと遺産である別荘について知ることになるのだが、また、ポワロは会う人すべての人に礼儀正しいこと、毎晩聖書を読む習慣があること、などがその例である。

「コックを探せ」ではポワロの人生における重要な人物が登場する。友人であり、時には敵対する、フィリップ・ジャクソン演じるスコットランドヤードのジャップ主任警部である。不思議なことに、ヒューと同じくこの撮影まで一度も共演したことがなかった。私とヒューより3才若く、nottinghamshireに生まれ、ブリストル大学で演技とドイツ語を学び、18カ月間リバプール代表となった。彼は役者として非常に幅が広く、BBCの「Last of the Summer Wine」から。Dennis Potterが称賛したテレビドラマ「Pennies from Heaven」にわたるまでどんな役もこなしてきた。フィリップは子供の時からクリスティの作品を読んでいたが、ジャップ警部の役を依頼されてからは一度も読み返していないそうだ。

フィリップは「脚本に書かれた通りに演じることにしました。」と言ったことがある。「行間を読んで人物を掘り下げることが、役者冥利に尽きるのです。」

フィリップは、愉快だが実直な警察官を演じて見せた。彼はカメラの前で、大げさに眉毛をあげて見せたり、ウィンクをするなどの、わざとらしい表情をしたりしなかった。彼は胸のあたりで帽子を握りしめ、容疑者を見つめていた。フィリップはジャップ警部について、子供のようなところがあり、気取らず、堅実でまじめな警察官だと分析していた。フィリップはシャーロック・ホームズに出てくるレストレード警部にヒントを得たようだった。だが、決して愚かに見えるように演じることはしなかった。ジャップ警部がポワロより捜査で遅れることがあっても、実際そうなのだが、フィリップはジャップ警部が恥をかかされているようには演じなかった。

撮影現場で、フィリップは私がどのようにポワロ役を演じているかすぐに理解し、ポワロという人物と対面した時、ごくごく普通に演じようとしてくれた。一方でベテラン警部としての気持ちをちゃんと表現していた。フィリップはこうも付け加えた。「ポワロとは奇妙な縁の友人関係ですが、ポワロが事件を解決してしまうことでジャップ警部は確かにイラッとしていますね。」

ポーリーン・モランが演じたポワロの秘書、ミス・レモンは時としてポワロに怒ったりする。ポーリーンはRADAで演技を学び、ロイヤル・シェイクスピア・カンパニーとテレビで多くの仕事をこなしてきたが、彼女とも一緒に仕事をしたことはなかった。モーリーンはミス・レモンが、ポワロの女版であると、すぐ理解した。

ポーリーンはミス・レモンについて「ミス・レモンはポワロと同様に、潔癖で強迫観念めいたものがあります。私は彼女の細かなところに至るまで、この役に適していると思います。」

また、ポワロは女性に対して恭しく、丁寧に接するが、自分も同じように扱われたいと考えているので、ミス・レモンはどんな時も、仕事でなくても、プロとしてポワロには慎重に対応しており、ミス・レモンは優秀でポワロの性格に合った秘書だ、と分析していた。また、「もし彼女が30秒でも遅れることがあれば、ポワロもミス・レモンも気が気じゃないでしょう。」

「コックを探せ」では、その後数年間がどのようになるかが凝縮していたように思う。ポワロがちょっと小うるさいこと、「灰色の脳細胞」とフランス人ではなくベルギー人であることに誇りを持っていること、特に使用人に対して寛容の精神を持ち合わせていること、ミス・レモンに対する尊敬の念、ヘイスティングの思いやりに対する喜び、ジャップ警部への優しさ、事件を解決した後にトッド夫人から送られた1ギニーの小切手を額に入れたことからうかがえる自分自身を笑える寛容さ、等である。

映像化したいと皆が望んできたリアリティある画像が、手の込んだ撮影セット、衣装、小道具、ロケによって可能になった。視聴者が、1935年、1936年、1937年がそのまま映し出されていると感じられる映像になった。ただし、1時間半のドラマを撮影するのに11日しか費やせなかった。思い出せる限りで一番厳しい撮影スケジュールがプロダクションによって示されていた。

このスケジュールでは、夜8時半に帰宅してから翌日の撮影までの間に、セリフを覚えなければならず、かなりしんどかった。朝、スタジオに向かう車の中でセリフを一人で繰り返していたので、それも大きな声で喋っていたので、運転手のショーンはすべてのセリフを聞かされる羽目になった。

数週間後、ショーンは時折、丁寧なアドバイスをくれるようになった。「お気に障ったら申し訳ございませんが、その最後のセリフは声を落とされたほうが、良くなるのではないかと存じます。声に出す必要はないかと。」ショーンは私のフィルターになって、私と同じくらいポワロについて理解するようになっていた。

撮影が始まって間もないころに、ポワロが顔を上げさせるべきかそうするべきでないかといった議論がはじまって、辟易していた時だった。失踪したコックを追跡してクラプハムにあるトッド夫人の家にヘイスティングスと訪ねるシーンで、トッド氏が会社から帰宅するのを待ちながら散歩している時、下宿人に話しかけていた。

Clive Extonの脚本では、公園のベンチに腰掛けてヘイスティングスとしゃべっている。リハーサル撮影の時、ポワロならどうするかと考えて、ハンカチをポケットから取り出して、几帳面にベンチを拭いてから座った。そうしないとズボンが汚れる危険性があったからだ。

ディレクターのEd Bennettは、その行動は馬鹿らしくみえると言って、私にたてついた。ドラマに関わる人たちと数週間議論してきたこと、つまりクリスティが書いたとおりのポワロを演じようとする決意が無になろうとした一瞬だった。私が右後ろに立って、演技を始めようとした時、そのようなことが起こった。

私は意見を変える気はなかった。ポワロはこういう場合、ハンカチでベンチを拭き、ハンカチを敷いて、その上に腰掛けるという確信があった。そうしない限り腰掛ける気にはならなかった。

「でも、非常識にみえるんだ。」と何度も言われた。「視聴者はポワロが変人だって思ってしまう。」

「そんなことはない。」と私は応えた。「これはクリスティが書いたとおりのポワロがする行動にすぎない。」

ディレクターは、私がハンカチを使うことをよしとせず、また私も思い描いたポワロ像に妥協するつもりはなかった。

ここで負けたら、私はポワロとして正しい演技を守ることができなくなる。そうなったら、私はポワロ役を続けることはできないと思った。なんとしてもクリスティが書いたままのポワロを演じなけれはならないのだ。私はクリスティのポワロについて確信がある。妥協はしない。

とはいえ、私は対立を好んでいるわけではない。というか、まったくもってそういうものを好まない。かなり困ったことになった。第三者、この場合は、エルキュール・ポワロなのだが、については議論はおこりやすい。私はポワロというキャラクターを守りたいだけであって、ポワロに対して「ラブラブ」な気持があるわけではない。ラブラブ・・・、この言葉は嫌いだ。

Ed Bannetも頑として聞き入れてくれる気配はなく、私は私で役に対して確信があったので、撮影は完全にストップしてしまった。

ブライアンが呼ばれた。ブライアンが来る間、実は心配していた。私はポワロを誰よりも知っている。間違っていない。

幸運なことに、ブライアンはハンカチを使うことに賛成し、撮影は再開された。もしブライアンがその決定をくださなければ、どうなったか私はわからない。おそらく、ディレクターの意見を受け入れたかもしれない。でも絶対にそうじゃないと思っていただろう。今まで調べてきたポワロに対して忠実でなくなってしまい、ポワロ役を続けるのが難しくなったに違いない。

皮肉なことに「コックを探せ」の最後のシーンが、世界中に放映されてしまった。ポワロは雨傘を持ち、ヘイスティングスの横に立っているのだが、なんとヘイスティングスが公園のベンチに座っている!ポワロは座っていない!ポワロがハンカチでベンチを拭くシーンはカットされたのだ。それが分かったとき、私は少し苦笑いした。

ハンカチの件が、視聴者がドラマを楽しめるかどうかに少しでも関係したかどうか、私は分からない。だが、あの時、「クリスティが書いたとおりのポワロ」を演じなければならないということを「ハンカチの件」で主張する必要があったのだと、私は今でも信じている。誰かがクリスティが書いたままのポワロを守らなければならなかったのだ。たとえどんな結果になろうとも、そう、私が、しなければならなかったのだ。

第1話が放送されて日が経つにつれて、重責を感じるようになってきた。ポワロと自分がどんどん重なりはじめ、ポワロについて知れば知るほど彼を守らなければならないと思い始めた。

第1シリーズの撮影を続けていくと、だんだんポワロと自分の境があやふやになってきた。撮影スタジオで、ポワロの衣装を着、ポワロの時代で生活を送ることが、まるで自分自身のことのように思えてきた。撮影が終わったら、私はこの世界から抜け出して現実に戻らなければならないのに。

だんだんとポワロと私は同一人物であるかのように感じてきた。そう、ポワロは私であり、私はポワロでもある。