chapter7-5. ポワロの人物像を守るのは私

クリスティによると『バッタのように一直線に向かった』とある。これもまた忘れたことのない原文である。

 

この処女作にはあと二つ、ポワロの特徴が書かれている。

彼女の表現で『灰色の脳細胞』とヘイスティングスにポワロが断言するセリフ『何も隠してなんかいませんよ。事実は君も見てきたとおりです。ご自分で推理してごらんなさい』

 

ロンドンから捜査のために駆けつけたジャップ警部によって、ポワロのこれまでの経歴が少しわかるようになる。

ジャップ警部とポワロは「アバクロンビー偽装事件」(1904年の事件らしい)で一緒に捜査にあたったらしい。

「ポワロさんのおかげで、アントワープで犯人を捕まえることができましたよ」とジャップ警部

警部はどうやらちょこちょこ歩きのフランス語訛りのあるこの小男を尊敬の念でみているらしい、ということもわかる。

 

ポワロは粘り強く捜査を続ける。暗礁にのりあがりそうな捜査、複数の容疑者、そして毒薬の特性を知るための実験をポワロは楽しんで行っている。

ここにはクリスティの小説で今後見られるいくつかの特徴が散りばめられている。田舎にある大きなお屋敷、屋敷の管理に欠かせない複数の使用人たち、テニス、午前にゲストが乗馬で寄る小屋、馬を手入れする人たち。

 

原作でも、今回の映像化でもエドワード朝の荘厳な感じは戦争のせいで薄れ、新しい時代の始まりが感じられるものになっている。

古き良き時代の習慣や伝統を残していくのは容易ではない。ポワロは、最古参のメイド、Dorcasに説明している時にこのことに気付き、原作で語っている「彼女こそ古き良きメイドですよ。今はもう彼女のような人はいないでしょうな」

 

ここにイングルソープ夫人殺人事件の一つのヒントがある。

この頃の若い人は、年寄りが死んで遺産が入ってくるのを悠長に待つことなどできないのだ、と。クリスティは、当時世界に広がりつつあった唯物主義にひそかに警鐘を鳴らしているのだ。彼女がこの本を書いていたのは1916年である。

 

それはさておいて、クリスティの書くポワロ物の必要不可欠な要素がこの作品には書かれている。

最後の大団円、スタイルズ莊すべての人にイングルソープ夫人殺害の機会があったという説明、そして犯人の解明へと進む手順。

ポワロが魔法のように、これまでの出来事を、まるでパズルを組み立てるようにして事件を解明すると、登場人物も視聴者もポワロに魅せられていくというわけだ。

イングルソープ夫人の付き人、シンシアにいたっては「なんてすてきなおじさま!」と。原作でもドラマでも、この実在しないキャベンディシュ家を崩壊させているのに、視聴者がポワロに寄せる好意にはなんら変わりないのである。

 

今現在、そのことはありがたい限りである。ポワロに好意を抱いていただいていることに、いつも驚いている。

道を歩いて私を見かけて立ち止まってくださる方、またわざわざ私に会うために劇場にまでお越しいただいた方は、みなポワロについて語ってくださる。時にはたくさんの手紙で、ポワロが自分に与えた影響について語ってくださるのだ。

 

まさに恐悦至極である。私はポワロを皆に好かれようとして演技しているわけではないのに、である。ただただ、クリスティが書いたとおりのポワロを演じようとしただけである。

 

第二シリーズの撮影が終わった1989年の12月、次のシリーズが制作されるかどうかわからなかった。

第一シリーズの時と同じく、ロンドンウィークエンドテレビの契約書には次作のことは書かれていなかったのである。第三シリーズが製作される保証はどこにもなかった。

 

またしても、私は暗中模索で、糸の切れた凧のような状態になってしまった。それでも、私はやはり、ポワロを演じ続けたいと思っていた。

次回作の機会があればそれを逃したくなかったので、私もシェイラもそのために生活を調整していた。もちろん、家族を養わなければいけないし、住宅ローンだって残っている。

 

第一シリーズが放送されて二週間後、何の予兆もなしに屋根の一部分が剥がれ落ちてきたのだ。

でもそれがポワロ役を続けたいという本当の理由ではない。

彼は私の人生の一部分になっていた。親友のような存在だ。私も皆さんと同じように彼に親しみをもっている。

ポワロに二度と会えないかもしれない、と思うと、とても悲しかった。自分のキャリアに望むのは、ポワロを演じ続けること、それだけだった。

chapter7-4. ポワロの人物像を守るのは私

そして難民たちを引き連れて、第一次世界大戦歌として有名な「It’s a Long Way to Tipperary」を合唱しながら、橋を渡る。

その歌声は、あまりはっきりとせず、そしてポワロは明らかに音痴である。

 

それはともかく、このシーンは難民であるベルギー人がなんとかイギリスに受け入れてもらおうと頑張っているのを現しいている。

ポワロが歌うシーンは、シリーズを通してここしかなく、歌手としての鍛錬を積まなくていいのだと思うと私はホッとした。

 

この2分後に、ヘイスティングスとポワロは地元の郵便局で再会する。

ポワロはこのとき、郵便局長である女性にいろいろな国のスパイスを扱ってくれるようにお願いしている。

インドから東洋、アフリカ諸国のものなど、である。局長によると、いろんなスパイスはすでにここにあるし、全て卸売業者から買っている、という。

 

局長の対応にポワロはひどくがっかりする。

というのもすでにあるスパイスの瓶も缶もポワロ独特のメソッドに合っていないからである。しかし、ポワロにはどうすることもできない。

このシーンでは、ポワロとヘイスティングスは旧知の仲で、ヘイスティングスがロンドンのLloyd’sで働いていたことがあり、またポワロがベルギー警察に所属していたことがわかる。

ポワロはこのとき60代で、退職しており、ドイツの侵攻を恐れて、イギリスに渡ってきたという。そのシーンのすぐ後で、イングルソープ夫人は殺され、ヘイスティングスは事件を解明するのにポワロの助けを借りてはどうか、と提案する。

ヘイスティングスはポワロたちが宿泊している家に出向くと、ポワロはまだ起きていなかった。だがすぐさま起き上がって、ヘイスティングスの話をきく。

 

今でも後悔しているのだが、このシーンでポワロをすぐにベッドから起き上がらせるべきではなかったと思っている。

起きてすぐ窓を開けているが、本当ならその前に髪を整えるべきだった。ポワロを熟知している今の私なら、彼が身だしなみも整えずに窓を開けることなどないと断言できる。

きっと丁寧に髪をブラッシングするだろう。見苦しい恰好のまま、ノックされたドアを開けたりすることなど決してしないだろう。

どうしてそうしなかったのかと今でも悔やんでいて、このシーンを見るたびに、ポワロよ、どうか起き上がらないでくれ、と願っていたりする。

 

当たり前なのだが、衣装係は今回の作品では、これまでより若い感じの衣装にしたほうがいいと、だいぶん気を遣っていた。

結局、この作品はこれまでのものより20年ほど前、という設定に落ち着いた。詰め込むパッドの量も減らしたし、ホンブルグ帽ではなく山高帽を被っている。首元には、蝶ネクタイではなくシルバー製のタイ飾りを着けている。

 

個人的には、色々な時代のポワロを演じられてとても楽しかった。ポワロが初出したこの作品でこのような配慮がされることは、まるでポワロが本当に生きているような感じがして、自信もついてきた。

スタイルズ莊での最初の撮影では、これまでのポワロと同じようなふるまいやマナーで演じていいのか、と迷いがあった。

ディレクターのRoss Devenishのおかげで、そのような迷いから抜け出すことができた。Rossはポワロについてよく研究していた。彼は撮影が終わると私のトレーラーにやってきて、ポワロについて何時間も語りあった。

 

「彼について教えてくれないか」Rossならこう言うだろう。「ポワロは何を思うだろうか。どう考えるだろうか。ポワロを描くのにどうやったらベストを尽くせるだろうか」

 

第二シリーズを担当したディレクターのなかには、私と一緒に仕事をするのは一筋縄ではいかない、と感じて人がいることを、今の私はよく理解している。

その通りだと思う。

私は俳優として、ポワロが信じているものがポワロの性格そのものであるということを曲げないからである。

その頃には自分こそが、このクリスティが創造した人物像を守ることのできるのだ、と考えるようになっていた。だから、違うと思ったことに妥協はしなかった。

なのでディレクターが扱いにくい、と思うのは当然である。でもRossは違った。彼はポワロとクリスティについて私の意見を求めてきた。

 

だからこそ、この「スタイルズ莊の怪事件」は特別なものになり、ポワロが変わった行動をとること、うぬぼれがあること、広範囲にわたる知識と皮肉に満ちたユーモアの持ち主である、ということも表現されていた。

だからといって決して滑稽な感じに描くことはしなかった。Rossも私もポワロには温かみのある人間として生きてほしかったのである。

 

イングルソープ夫人が殺され、ヘイスティングスに事件解決を頼まれたポワロは、すぐさま引き受ける。

「彼女には7人の同胞がお世話になっていましたからね。故郷から逃れてきた彼らです。ベルギー人として、イングルソープ夫人には尊敬の念を抱いております」

 

原作ではポワロについて詳細に以下のように書かれている。

『5フィート4インチに満たない身長だが、悠々と歩いている。頭は卵型で、いつも片方にすこし傾ける癖がある。

口ひげはいつもきれいに整えられている。

服装に至っては、文句のつけようなないくらいにきっちりとしている。

ちょっとした埃でさえ、ポワロにとっては銃で撃たれたような痛みを感じさせるに違いない、と私は思っている。』

 

上記の内容はいつも肝に銘じている。初めてスタイルズ莊の寝室に殺人の検分しに行くときは特に気をつけていた。

 

chapter7-3. ポワロの人物像を守るのは私

あくまで私見だが、「スタイルズ莊の怪事件」の映像化にあたり、クリスティの原作に、Clive Extonが脚本、というのはこれ以上にない組み合わせだと思う。

原作が大ベストセラーになったのは、たまたまではなく、この作品には様々なミスリードや、ひっかけがあり、また登場人物にはそれぞれの過去や感情が描かれている。

 

だが、あえて言おう。「スタイルズ莊の怪事件」ではポワロは人物として出来上がっていない。

他の作品のほうが、ポワロ自体の出来はいい。戦争中という設定が、作品に影響を与えていて、イギリスという新境地で、なんとかやっていこうとするポワロは真剣そのものだ。

ポワロも、そして同じく難民としてやってきたベルギー人はみな、なんとか新しい土地に慣れようともがく日々を送っていたのだ。

 

さて、テレビドラマ化してみると、これまでの作品とは違って最初から11分間、ポワロはまったく登場しない。

映画界の格言で、「スクリーンに金(かね)を置く(putting the money on the screen)」というのがある。映画が始まったらできるだけ早く主役を登場させる、という意味だが、まあほとんど実行されていない。

この「スタイルズ莊の怪事件」の映像化では、なんだかこれまでの作品とはちょっと違うな、という感じに仕上がっている。

タイトルコールは現れないし、クリストファー・ガニングのあのテーマ曲も流れない。その代わりに、スクリーンには、ロンドンの国会議事堂広場に負傷した兵士がいて、看護婦は裸足でこっちに向こうに歩き回り、軍楽隊は行進曲を演奏して歩いている。

 

そして、ヘイスティングスが療養している施設へとシーンが移る。彼はスクリーンでニュースを見ている。ロンドンウィークエンドテレビは賭けにでていた。

ヘイスティングスとほかの負傷した元兵士たちは、白黒画面で、賛否が分かれるようなニュースを見ていたのだ。そこには塹壕で死にゆく兵士たちが映し出されていた。通常、ゴールデンタイムの放送でこのようなシーンは流さない。

子供のお休み時間前、つまり夜9時前に、衝撃のあるシーンの放送は避けるのは普通なのだ。

 

ニュースが終わると、ヘイスティングスは、旧友ジョン・キャベンディシュから、wiltshireにあるスタイルズ莊への招待を受ける。

Cliveの脚本ではエセックスではなかった。

なぜなのかは私も知らない。ヘイスティングスはスタイルズ莊に着くと、ジョンの妻メアリ、弟のローレンス、イングルソープ夫人の後見人で、地元病院の薬局で働いているという(クリスティの経歴と被っている)シンシアと言う女性、そしてイングルソープ夫人のために40年間も屋敷務めしているというイブリン・ハワードと出会うことになる。イングルソープ夫人がベッドで苦しみながら死んだとき、またもやロンドンウィークエンドテレビは危ない橋を渡った。

夫人の死の苦しみを、ちゃんと映像化したのだ。

最初は心臓発作で死んだと思われていたのだが、地元の医者はすぐに毒殺だと断定した。すぐさま警察が呼ばれ、イングルソープ夫人の新しい夫、アルフレッドに嫌疑がかけられる。夫人の莫大な遺産の相続人だったからだ。殺人が起こるまでの間、ポワロの出番はほんのちょっとしかなかった。

 

最初に登場するシーンでは、同郷の難民たちを率いて、イギリスの田舎についてレクチャーしながら地元の森を散策している。

ポワロ登場の最初のカットはこうだ。

ポワロのスパッツを履いた足が、注意深く落ち葉を踏んでいる。ここでようやくいつものテーマ曲が遠くから聞こえてくるようになっている。

ポワロの全身が映し出されると、彼は仲間たちに地元にしか生えていない植物について説明する。ポワロの言うことには「スカーレット・ピンパーネル」と呼ばれる植物は、天気のいい日が続かないと開花しない、ということだった。

ポワロはちょっと間をおいて、苦笑いしながら言う。「ということは、イギリスでは、ほとんど咲かないのです」

chapter7-2. ポワロの人物像を守るのは私

 

アガサがティーンエイジャーになり、姉マッジと一緒に殺人ミステリーを読んで、議論していた時、アガサは探偵小説を書いて自分の腕を試してみたいと言い出した。

マッジは、やってみたら、といったが、アガサが本当に書くとは思っていなかった。このティーンエイジャーの経験は忘れがたいものとなった。

 

20代初め、アガサは複数の男性から求婚されることになる。

1912年、22歳の時にそのうちの一人と婚約するのだが、血気溢れるアーチボルド・クリスティ中尉と恋におちてこの婚約は破棄される。

アーチーはインディアンシビルサービスに努める裁判官の息子で、当時英国陸軍の砲撃部隊に所属していた。

 

1年半たたないうちにアガサはアーチーと結婚し、アーチーは大尉に出世し、新設された空軍に所属していた。

1914年のクリスマスイブに結婚式は行われ、その4か月前にはドイツとの戦争が始まっていた。結婚式の二日後にはアーチーは西部最前線に戻り、新妻アガサはトーキーの病院で、フランドルから帰ってきた捕虜たちを看護していた。

1年半後には病院内の調剤薬局に勤務するようになり、ここで毒薬に関する知識を得、そこで得た知識が「スタイルズ莊の怪事件」をはじめとする小説に生かされるようになる。

 

この薬局に勤務している時に、アガサはクリスティ夫人として、「スタイルズ莊の怪事件」を書き始めるのだ。

看護婦として負傷者のケアにあたり、また夫アーチーの戦場での経験から、イングランドがベルギー人難民にとって第二の故郷になりつつあることを実感していた。クリスティの地元の近くトーベイのTor区にベルギー人地区ができつつあった。

そこで、若き日のクリスティは、ベルギー人を探偵にして小説を書いたらどうだろうか、と考え始めた。探偵はベルギー警察を引退している、ということはある程度年を取っているはず・・・

 

エルキュール・ポワロが誕生した瞬間だった。

 

このときヘイスティングスも思いつく。

ポワロとは戦争の前に、保険会社社員として働いていた時にベルギーで知り合ったことにして、年齢設定は30歳くらい。

戦争の怪我の療養が終わり、故郷に帰る道中で、ポワロと再会することにする。ヘイスティングスは幼馴染のジョン・キャベンディシュとその家族が所有している田舎にある屋敷、スタイルズ莊で一緒に過ごさないか、と誘われてやってくるのだ。

スタイルズ莊はエセックス州の実在しない村セントメアリーから1マイルほど離れた場所にある、という設定だ。スタイルズ莊は、ジョンの義理の母が所有していて、彼女は70を超えていて、20歳年下の陰気なアルフレッド・イングルソープを再婚したばかりだ。ジョンによるとアルフレッドは「折り紙付きのゴロツキ」だ。

というのも、黒々としたあごひげを蓄えていて、天候にお構いなしにいつでもエナメル靴を履いているという。そう、ここからストーリーは始まる。

 

設定は戦時中で、この作品は1920年にロンドンで出版され、大ヒットを飛ばし、20世紀におけるイギリス英語で書かれた犯罪ミステリーとして、クリスティは華々しくデビューした。だが、私にとって重要なのは、すでに世界中に読者を持つ、かの有名なシャーロック・ホームズのライバルとなるポワロが誕生したことだった。

 

chapter7-1. ポワロの人物像を守るのは私

「スタイルズ莊の怪事件」は、二本目の2時間半ドラマとなり、そして第二シリーズ最後の作品となった。

また、クリスティの生誕100周年を記念して放送されることになった。

実を言うと、イングランドでは、クリスティの生誕百年のちょうど一日前にあたる1990年9月16日に先行して放送された。その日は、クリスティがオックスフォードシャーで没してから、約15年が経過していた。

だが、それよりも私にとって重要なのは、「スタイルズ莊の怪事件」がクリスティの処女作であり、ポワロが世間に初めてお目見えした作品である、ということだった。クリスティにとっては第一作でも、テレビドラマシリーズは既に19作品の映像化が済んでいる。

ロンドンウィークエンドテレビが、この作品の映像化に特に気を遣っているのがよく分かった。脚本は、Clive Exton、テレビドラマのスペシャル版というよりも、むしろ映画製作の様子を呈していた。

第一次世界大戦のころの雰囲気をだすだめに、たくさんのヴィンテージカーと数多のエキストラが動員されていた。ディレクターは、30歳で南アフリカ出身の才能あふれるRoss Devenish。彼は1890年に、「Marigolds in August」を発表し、同年にベルリン映画祭で表彰されている。「スタイルズ莊の怪事件」では、ポワロの探偵としての初期のキャリアを描くことになった。

ドラマでは視聴者は探偵として成功しているポワロしか見ておらず、若いポワロになじみがない。ポワロは故郷のベルギーから侵攻を逃れるために難民としてイギリスにやってきたばかりだ。

 

「スタイルズ莊の怪事件」は見ていて楽しいとは言えず、殺人、複雑なストーリー展開に出だしから重く陰鬱な雰囲気がある。ドラマの最初のほうで、戦争で怪我を負い、『ちょっと憂鬱な』故郷イングランドに滞在し、負傷から回復しつつあるヘイスティングスが描かれている。

ヘイスティングスの最初のシーンでは、患者たちと白黒画面のニュースを眺めていて、そこでは西部最前線の戦闘の様子と、ベルギー人が難民としてヨーロッパ全土に溢れていく様子が流れている。

 

「スタイルズ莊の怪事件」にはクリスティが少女時代に経験した実体験がいくつか反映されている。彼女は第一次世界大戦が始まると、故郷でベルギー人難民を実際に見ている。

また、クリスティの幼少期からも影響を受けている箇所がある。クリスティはイギリスの沿岸部であるトーキーで1890年9月に生まれた。

アガサ・ミラー(管理人注釈:クリスティの旧姓)は、少女時代にインフルエンザに罹った時から物語を書き始めた。母親が物語を音読する代わりに勧めたのだ。アガサは、物語を書くのが楽しかった。それ以来、彼女は書き続けた。

 

オリエント急行でお茶を【管理人による番外編雑記】

メリークリスマス!

というわけで、管理人の雑記をエントリーいたします。


私自身、クリスティのファンなのか、ポワロのファンなのか、はたまたスーシェのファンなのか、自分でもわかっていないのですが、そんな私もオリエント急行にはときめかずにはいられません。


とはいえ…

オリエント急行でロンドンからパリに行くとか、アフタヌーンティをいただく、というのは、金銭的な面からも、時間的な面からも実現するのにハードルが高そうな夢であります。

 

そんなオリエント急行でお茶できる場所が日本にもありました。しかもリーズナブルに(ヨーロッパでオリエント急行に乗車するよりは、ってことですよ。カフェだと思うと高いですよ)


知ったときには、飛び上がるほどビックリしました。


ブログ「旅行鞄にクリスティ」で、mugiさんが、素敵な写真とユニークな文章で、綴ってくださっています。興味のある方はそちらをググってください(リンクの飛ばし方がわからなかったので)


箱根ラリック美術館に、オリエント急行コート・ダ・ジュール号のサロンカー(本物)があり、そこでお茶を楽しめるとのこと。


レプリカでもなく、ホンモノ!

モノホンですよ!


フランスから、船便でやって来て、箱根まで車両を運びあげたそうです。運搬業務を担ったのは、日通だそうです。さすが、日通…

 いや、この車両をオークションで競り落としたラリック美術館のオーナーはもっと凄いと思います…


そこで、箱根のラリック美術館に行ってきました。

ちょうど、コート・ダ・ジュール号の特別展をやっていて、観覧チケットでオリエント急行に入ることができました。

ただし、特別展の間、オリエント急行内でお茶をいただくことはできませんでした。


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写真も色々ととったのですが、下手すぎて公開できるシロモノではありませんでした。


アルバート・フィニー主演の映画「オリエント急行殺人事件」をご覧になった方なら、見たことある列車がそのままそこにあります。


また、クリスティの原作で、赤いロングガウンを来た女性が歩いてたという通路も、ああこれがあの!となること請け合いです。


オリエント急行も、もちろんですが、ラリック美術館の収蔵品も、ポワロのドラマに馴染んでいる方なら、楽しめると思います。

この扉の向こうに、ポワロや1930年代のイギリスの上流階級がいそう、とか、こんなジュエリーを着けたご婦人がいた気がする!

と、ワクワクします。


ポワロのドラマファンにとって、隠れた聖地です。

(美術館は別に隠れてなんかいないですが…)

 

美併設のレストランでは、素敵なお庭を眺めながら、美味しいお料理がいただけます。調理技術の高さに、舌を巻きました。私のレストラン訪問歴でも、一二を争うものでした。

ポワロもきっと、「セボン」って言いますよ