chapter 1-1. 大役はしない

2012年11月午後遅く、エルキュール・ポワロが死んだとき、私の一部分もポワロとともに死んだ。

アガサ・クリスティが生み出した潔癖症のベルギー人探偵は四半世紀にわたって私の人生の一部であった。ドラマの時間で100時間以上、25年以上にわたってポワロを演じてきたのだ。そして、彼の死も演じた。

綺麗好きで、優しく、紳士で、灰色の脳細胞を持ち、外国訛りで喋り、気取って歩くポワロを、言葉で表すことは難しいが、これらは私にとって重要なヒントだった。私は彼の役を演じただけだが、彼を失うのは最も親しい友をなくすのと似ていた。しかし私は正しかったと思っている。ポワロに命を吹き込み、世界中の数百万人の人々が彼に関心が向くのをよう、出来る限りのことをした。あの日テレビスタジオで、最後の息を引き取るとき、それはせめてもの慰めだった。私はもう二度と彼を演じることはないのだから。映像化する原作はもうないのだ。

エルキュール・ポワロの死は長い創造的な旅の終わりでもあった。だからこそ感情的になってまで、アガサ・クリスティの本当のポワロを演じたかった。アガサは1920年に「スタイルズ荘の怪事件」で初めてポワロを登場させ、約50年以上後の1975年、「カーテン」で彼に最後の時を迎えさせるのである。ポワロが私にとって現実に存在しているようだったのと同じように、アガサにとってもそうだった。偉大な探偵で、頭がよく、時々ちょっといらっとさせられる。ポワロは私の人生につねに一緒で、それはアガサにとっても同じだった。33の長編、50の短編と舞台脚本を1本書いた。そしてシャーロック・ホームズと並んで、世界で最も有名な探偵の一人となったのだ。

だが、どうしてこのようになったのだろうか。どうして私は何年にもわたって、モーニングコートを着て、ピンストライプのズボンを穿き、エナメルの靴を履き、エレガントなグレーのホンブルク帽をかぶっているのだろうか。太っていて、鼻眼鏡を掛け、「ssh」が言えなくて「chut」と言う60代の小男と私に、何の共通点があるというのだろうか。

過去を振り返ると、自分で自分に疑いを持つのである。その疑問に答えるには、だいぶ昔に遡らなけばなるまい。