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chapter1-3. 大役はしない

それからはすごく幸運続きで、シアターや映画、ラジオ、テレビで常に仕事をしていた。1973年には、27歳でロイヤル・シェイクスピア・カンパニーの会員にもなった。カンパニーでの仕事は、ものすごく楽しかった。映画「Song for Europe」や、John Lighgowと共演した「Harry and the Hendersons」、ショーン・ペンとTim Huttonと共演した「The Falcon and the Snowman」、私が南アフリカのものすごく怖い警察の取調官を演じた「A world Apart」に出演したときと同じくらい楽しかった。

しかし、テレビで放映された「Blott」が視聴者に私をイメージ付けしてしまった。Tom Sharpeは電話をかけてきて、涙ながらに、あんなにうまくあの人物を演じることができるなんて想像もしていなかった、と言った。私はジーンときた。

「Blott」がBBCで制作され、Bringhton-born filmのテレビプロデューサーであるBrian Eastmanが1987年の秋の夕方、電話をかけてきて、近くまで行くから夕ご飯でも一緒にどうか、と誘ってくれたのだ。彼は背が高く、スリムで、そして友人や尊敬する人物と仕事をするのを好む。「Blott」のおかげで、私たちは友人になった。私は夕食を承諾した。

Brianはインド料理店に行く前に、私の家に寄って、妻のシェイラと軽く話をし、6歳の息子と4歳になる娘、ロバートとキャサリンに会った。インド料理店では向き合って座り、マドラスチキンと野菜ピラフを囲んでいた時、Brianが突然「アガサ・クリスティは読んだことがあるか」ときいてきた。

私は青ざめた。実を言うと全く読んだことがなかった。1冊も、だ。私の父は素晴らしい人で、また一流の婦人科医で、兄のジョンや弟のピーター、そして私にも本を読むようにいつも勧めていた。「偉大で不滅のシェイクスピアを読みなさい。自分自身で。」我々は父のアドバイスに従ってきた。だから「the Kreutzer Sonata」でトルストイの哀れなPozdnyshevを演じるのがすごく楽しかったのだ。

「あー・・・、正直にいうと、ブライアン、読んだことないんだ」元気なく答えた。「たくさんのファンがいるのは知っているけど、まったく好みじゃなくて」。ブライアンは特に困った様子ではなかった。「ポワロの映画は見たことある?」スプーンでピラフをすくいながら彼は尋ねた。見たことがあるどころではない。私はその一つに出演している。

「1985年に、CBSで制作されたピーター・ユスチノフの『thirteen at dinner』に出たよ。イアゴーをやるまえだ。ジャップ警部だった。」

大役でないことは分かっていたが、Stratfordに行くのにお金が必要で引き受けた仕事だった。また、幼い子供を養わなければならなかったからだ。ブライアンには言わなかったが、私のジャップ警部の演技は、おそらく今までのキャリアで最悪だった。どう演じたらいいのかさっぱりわからなかった。しょうがないので、強欲な賭けの胴元みたいに演じることにして、映っているときは、いつも何か食べていた。あるシーンではポワロの朝ごはんを食べて、ユスチノフを大いに喜ばせた。

ユスチノフと私は撮影中、ポワロについて語り合った。彼は役を気にいっていたし、コミカルな見た目を表現していた。しかし彼は分かっていたのだ。自分はアガサ・クリスティが書いたポワロを演じることはできない、と。ユスチノフはポワロを演じるには大男すぎた。ユスチノフの性格が演技にも反映されていたが、それもアガサのポワロとは違う。そして喜劇役者の訛りがあった(he used the accent as part of his comic armouny)。

ある日、撮影の休憩時間にユスチノフは私に言った。「君ならポワロをやれる。とてもあってると思うよ」。