chapter1-7. 大役はしない

本を読み進め、彼について書かれているどんなこともメモを取るにつれて、徐々に自分が演じようとしている男のイメージがつかめてきた。

「飛行機が苦手。酔うから。」私のリストに次々と書き込まれる。こんなことも。「船旅も苦手。船酔い予防に『優れたlaverguierメソッド』を使う。」「口ひげが完ぺきに美しいように注意を払う」8番目は「いい香りのポマードを使う」「彼の持ち物には秩序と整理整頓がある。」が9番目。その次は「正義と道徳の人。敬虔なカソリック教徒。寝る前には毎晩聖書を読む」。読み進めるにしたがって、アガサ・クリスティへの尊敬の念が大きくなった。私の父が大好きな海辺の保養地トーキー州のデボンで、1890年の9月15日、アガサ・メアリ・クラリッサ・ミラーとして産まれた女性が、なぜ常にベストセラー作家であったのか、それまでの私はわかっていなかったのだ。彼女の作品が世界中で20億冊以上売れていたことや、103の言語に訳され、今までで最も翻訳された作家であること、出版された本としてはシェイクスピアと聖書についで3番目に多い、ということも知らなかった。ポワロのプロジェクトの最初に、これらの事実すべてを知っていたら、クリスティファンを満足させることや、ポワロを演じるために調査することもよっぽど怖気づいていただろう。長編短編のストーリーが55年にわたって紡がれ、ファンはポワロについてよく知っているのだ。まあ、1940年後半には、クリスティはポワロを書くのが疲れた、と言うようになるのだが。それでも彼女は1972年に、コリンズが「象は忘れない」を出版するまでポワロを書き続けた。そしてかなり前に書き上げていた「ポワロ最後の事件:カーテン」が出版された数か月後、1976年に85歳で亡くなる。

BryherのHell Bay Hotelの部屋で机に向かいポワロの特徴を次々とメモしながら、クリスティが書いたとおりのポワロを演じると決意した。11番目に書いたことは「『疑いの余地のないヨーロッパ一の頭脳の持ち主』という考えの主」一方で13番目には「探偵としての才能にうぬぼれている。ただし人としてうぬぼれてはいない」14番目は「仕事が大好きで、世界で自分が一番だと信じている。みんなが自分を知っていると思っている」15番目は「マスコミにでるのは嫌い」。

ポワロの複雑さや矛盾さ、彼のうぬぼれや特徴が、だんだんと明確になってきた。それに従って、どうしゃべるか悩み始めた。Bryherで過ごした10週間で一番悩んだのが、それだった。人口100人未満で、舗装道路などない、自然が残ったままの美しい小さな島を散歩しながら、ポワロはどう話すのだろうか、と考え続けた。島の静寂さが、助けになった。「誰もが彼をフランス人だと思う」Rushyビーチに横たわる大きな石をまたぎながら、または菫で有名なHeathy丘の草むらを踏みしめながら、独り言をつぶやいた。「ポワロがフランス人だと思われるのは、彼の訛りのせいだ」とつぶやいた。「でも、彼はベルギー人だ。フランス語を話すベルギー人は、ネイティブフレンチとは全く違うことを私は知っている。」

私は実証作業に取り掛かり、自分の声幅をフルにつかって独り言を言ってみた。頭のてっぺんや胸から声が出ていることもあったし、鼻声やきっぷのいい話し方もやってみた。低かったり、ゆっくりだったり、少ししわがれ声だったりもした。どれもポワロではなかった。確かにポワロではなかったが、話し方は習得するべき最後のことだった。Bryherに来る前、ブライアンに言われたアドバイスがいつも気になっていた。「覚えておいてくれ。ポワロには訛りがある。でも、視聴者は彼が言っていることを正確に理解できないといけないんだ」簡単に言うと、私の問題である。

正確に言うと、一つではない。偉大な探偵についてすべてを読んで知りたかった。その手がかりが近くにあることに気付いた。ポワロの特徴を書き出したリストの真ん中くらいに、1936年4月にポワロが、アメリカの出版社に宛てて自分自身について書いた手紙を見つけた。アメリカのオムニバス小説は「ロジャー・アクロイド殺し」、「13人の晩餐」(イギリスでは「エッジウェア卿の死」で出版された)そして、自分が疑問に思っていることに対する答えが記載されていた。

「私が担当した最初の事件はどれか?」とポワロはムッシューDoddに宛てて書いている。

『1904年、ブリュッセルでアバクロンビー偽装事件が探偵としての最初の仕事だった。ベルギー人としてこの事件に関われたことを、永きにわたってとても誇らしく思っていた。戦争が終わってから、そう、私はヘイスティングスとロンドンに住んでいることがあった。Farraway街14番地だ。ピアソン夫人(Mrs Peason)が月極で貸してくれていたのだ。』

読み進むと、シャーロック・ホームズがベイカー街でワトスン医師とハドソン夫人と暮らしていたこととなんとよく似ていることかと思い出した。私は知らなかったのだが、アガサ・クリスティシャーロック・ホームズから影響を受けているのだ。アガサ・クリスティは若い頃からホームズの熱心な読者で、ポワロをホームズとは性格的に違う探偵にすると決めていたが、ワトスン医師のような相棒、かつ語り手で、時には助けてくれるパートナーというアイデアは採用し、ヘイスティングス大尉として登場させた。また、ポワロの面倒をみる家政婦的な役割も登場させた。

ポワロをホームズとは別物にする、ということは絶対に必要だった。ポワロの第一作目を執筆していた時、ホームズの新作が発表され続けていたからである。コナン・ドイルの「恐怖の谷」が1915年に出版された時、クリスティはポワロについて案を練っていた。クリスティが「スタイルズ莊の怪事件」の最初の下書きを終え、そしてついにポワロの第一作が発表された後の1917年、ドイルの「最後の挨拶」が出版された。

ポワロをホームズとは全くの別物にすることは、クリスティにとって避けられないことだった。「人ごみで、どうやって私を御探しいになりますか?」クリスティは、アメリカの出版社へのポワロの手紙でこう書かせている。「私の外見で特徴的なことを三つ、挙げてみてくれませんか。物語にでてくる探偵のような奇抜な恰好はしていませんよ。」まったくもって事実ではない、と私は思ったが、ここにクリスティが大事にしていたことが分かった。

『そう、私はちょっとしたことにこだわりを持っている。ちょっとでも曲がっていたり、秩序がないと、耐えがたいのだ。本棚には背の高い本から順に並べている。薬の瓶は残量が減っている順に並べている。君のネクタイがまっすぐでなかったら、なおさずにはいられない。君の上着にオムレツがほんのちょっと載っていても、またカラーにわずかな埃があったとしても、私はそれを掃わずにはいられない。朝食には、細かくきちんと正方形にカットされたトーストと、正確に同じサイズの卵が二つがなければならない。告白すると、焼け残ったマッチを花壇から拾い、丁寧に埋めることさえするだろう。』

ポワロは自分が小男であることを強く否定している。

『私の身長は5フィート4インチ。頭は卵型で、少しだけ左に首を傾ける癖がある。人が言うところによると、興奮しているとき瞳が緑色に輝くらしい。靴はエナメルで、細身でいつもピカピカ。杖は金のリングがはめ込まれたエンボス加工。懐中時計は大きめで、時間は正確。口ひげはロンドン中で一番手入れされている。わかったかな、モナミ。ポワロは今、君の前に立っていますよ。』

そう、それが彼だ。疑いもなく、彼だ。彼はシャーロック・ホームズとは違う。読み進めるにしたがって、彼の声色がどうなのという疑問がおこった。訛りがあるのはわかるが、ポワロはどんなふうにしゃべるのだろうか。Brian Eastmanと私はポワロの見た目を表現することできるが、しゃべり方はどうだろうか。これは私の俳優としてのキャリアにおいて重要な意味を成してくると思った。たった一つの役のために私は自己を失いかけているのか?役を演じる時の俳優としての落とし穴に落ちてしまうのだろうか?いや、そうならないようにする、しかし私は危険を感じ取っていた。

6月初旬のある夕方、それはBryherで映画「When the Whales Came」のクランクアップの直前であり、ポワロの初めて演じる数週間前だったのだが、私は映画のexective producerであるGeoffrey Wansellとしゃべっていた。彼とは後に親しい間柄になり、この自伝を共著する仲になったのだが、その彼とポワロを演じるということや、それがどんな意味を持つかを論じていた。

「そうだな、ひとつ言えるとしたら・・・、」Geoffreyは言った。「君の人生が変わってしまうだろうね。君は一つのドアをくぐることになるよ。そしてそのドアに戻って潜り抜けることは二度とできないんだ。」

「冗談だろ」私は言った。「私は変わらないよ。一介の俳優だ。そうありたいと思っている。」

「いや、今と同じでいられるなんて思うな。」彼は応えた。「すべてが変わる。君が望むと望まないに関わらず、後戻りはできなくなる。でも、同じような役ばっかり演じることになる、とは言ってない。ポワロを演じている間は、ポワロが君の一部になる、ってことさ。」

BlottやFreudの書く人物を演じてきたので、ポワロになりきることは願ってもないことだった。私は性格俳優だ。まさに人生をかけてそうだった。そしてこれからも。私はポワロになるのだ。間違っても「スター」俳優ではないのだ。

そのすぐ後に、Bryherから長い帰路をたどることになった。まずセントメアリ(St Mary’s)まで舟で行った。Scilly Islesの一番大きな舟で、元首相ハロルド・ウィルソン所有のバンガローがある、あのセントメアリだ。それからヘリコプターでPnzanceへ行き、長時間電車に乗ってパディントンに着き、ようやくActonの我が家へ帰ることができた。この旅の中で、自分自身について考えるようになった。

その答えをはすぐに見つかった。