chapter3-3. 申訳ないが、その衣装は着ない

「申し訳ないが、それは着ない。」冷静に言った。

「ポワロの衣装ではない。」「ポワロはモーニングスーツを着る。」

スタイリストは応えた。「ですが、私はこの衣装を渡すように言われたんです。」

彼は、驚いていたし、そして緊張もしていた。表情から明らかだった。

「そうか。でも私は着ない。」

そう伝えた時の彼の表情を私は忘れない。彼の眼には諦めが表れていたし、また混乱しているのもわかった。彼が頭を下げなければいけないのは、私か、ディレクターか。彼は悪くないのだ。

長い間があって、彼は灰色のスーツを腕にかけて更衣室を出て行った。私は、決意を固くした。今まで頭に思い描いてきた、あのポワロでなければ、私は絶対に演じない。

その灰色のスーツを指示したのがディレクターであることは分かっていたが、着るわけにはいかない。スタイリストが戻ってきて、ボディスーツを着るのを手伝ってくれた。その間、私はポワロの衣装を待った。しばらくすると、女性のスタイリストがモーニングスーツを持ってきてくれた。縦縞のズボンに、ジレーもある。私の担当のスタイリストがその衣装を受け取った。彼は一言も発しなかったが、私の提言が受け入れられたのだとわかった。

ともかく、私は撮影セットへと向かった。緊張でガチガチだった。

最初のシーンでは、カメラがエナメル靴からスパッツ、そして縦縞のズボンを映した。そして、私はズボンの埃を払いのける。その後、カメラはジレーと蝶ネクタイ、そして指を突き合わせるポーズ(私が好んで「大聖堂の手」と呼ぶポーズ)をとっている私の顔を映した。

ヘイスティングスは私が興味を持ちそうな新聞の記事を読み上げているが、ポワロは逐一却下していく。そして自分の着ている服について語りだす。それはいかにもポワロらしいことだ。

一番心配していたのは、カメラが回り始めたまさにその瞬間から、ポワロでなければならないことだった。やり直しはきかない。第一印象が最重要だ。ディレクターは数々のテレビドラマを制作してきた、当時38歳のエドワード・バネットだったが、彼が「アクション!」と叫んだ時も緊張で震えていた。

だが、私には劇場で何年も演じてきた経験があった。その経験が今回大いに役に立った。邪念を払って、集中することができた。ポワロ役に集中すれば、緊張はほどけていく。

緊張がゆるんで、潔癖症で小男の探偵を、正確に演じることができた。撮影初日、二日目、三日目も私はポワロになれた。それ以来、どの日もポワロはともにあった。撮影初日のTwickenhamで、ポワロという役に命をふきこんだのは、エルキュール・ポワロその人だったと言っていいだろう。

だが私が特に言いたいのは、共演した多くの俳優、とくにメインキャストに非常に助けられた、ということだ。頼れる親友で同僚のヘイスティングス大尉を演じた素晴らしい俳優ヒュー・フレイザースコットランドヤードのジャップ主任警部を演じたフィリップ・ジャクソン、秘書ミス・レモンを演じたポーリーン・モラン。そしてクリスティに認められた優秀な脚本家Clive Exton。

Cliveはロンドンっ子で、Islington 生まれ。1959年、ITVの「Armchair Theatre」の脚本からキャリアが始めたのと同時に映画で仕事も始めていた。1986年にイギリスに戻ってくるまで10年間ハリウッドで過ごしていた。Cliveは少なくとも20本以上、ポワロの脚本を書いた。

面白いことに、私がシリー諸島のBryher滞在中、ChristopherGunningがポワロ第一シリーズの曲を作曲していた。彼は、才能あふれる作曲家で、イギリス映画「When the Whales Came」の作曲を手掛けている。彼はテーマ曲を含めたポワロの曲を作っていて、そのテーマ曲で1989年にイギリスアカデミー賞の最優秀テレビ作曲賞を受賞している。ポワロといえばあの曲、とハミングするあのテーマ曲だ。また、私に会う人はこの曲をハミングしてくれる。

「コックを探せ」の最初のシーンでは、「国家的重要性」のない事件とポワロは言って、ヘイスティングスが読み上げた事件に何の興味も示さない。そこにミス・レモンが扉を開けてやってきて、Brigit Forsythが演じるクラプハムから来た銀行家の妻を案内してくる。トッド夫人は住み込みの料理人が2日前から行方不明になったのだと語る。ポワロは最初、些細な事件とみて、関心を示さないのだがトッド夫人は、料理人の失踪は緊急度の高い事件であり、また優秀な料理人を見つけることいかに大変で、どれほど重要かをポワロに言って聞かせる。

ヘイスティングスが驚いたことに、ポワロは自分の過ちを認め、その事件を引き受ける。このことによって、ポワロの二つの特徴がわかる。ポワロは心優しく、そして物事を難しく考えすぎない、ということだ。

実際、この「コックを探せ」で、ポワロのおおよそのキャラクターが確立された。特にヘイスティングスとの固い信頼関係の重要性などが表現された。それは、撮影初日からヒュー・フレイザーと私の関係と同じであった。