chapter3-5. 申訳ないが、その衣装は着ない

しかも後日、ロンドンウィークエンドテレビが10話ある第一シリーズ作成のために、ブライアンに対して500万ポンドをつぎ込んだことを知った。一話作成に、50万ポンド!1988年は恵まれていたのだ。

第1話では、ポワロのキャラクターをちゃんと表現できただけではなく、彼の印象を良くすることもできたと思う。トッド夫人のメイドに見せた優しさ、そのおかげで湖水地方に来ることになり、失踪したコックと遺産である別荘について知ることになるのだが、また、ポワロは会う人すべての人に礼儀正しいこと、毎晩聖書を読む習慣があること、などがその例である。

「コックを探せ」ではポワロの人生における重要な人物が登場する。友人であり、時には敵対する、フィリップ・ジャクソン演じるスコットランドヤードのジャップ主任警部である。不思議なことに、ヒューと同じくこの撮影まで一度も共演したことがなかった。私とヒューより3才若く、nottinghamshireに生まれ、ブリストル大学で演技とドイツ語を学び、18カ月間リバプール代表となった。彼は役者として非常に幅が広く、BBCの「Last of the Summer Wine」から。Dennis Potterが称賛したテレビドラマ「Pennies from Heaven」にわたるまでどんな役もこなしてきた。フィリップは子供の時からクリスティの作品を読んでいたが、ジャップ警部の役を依頼されてからは一度も読み返していないそうだ。

フィリップは「脚本に書かれた通りに演じることにしました。」と言ったことがある。「行間を読んで人物を掘り下げることが、役者冥利に尽きるのです。」

フィリップは、愉快だが実直な警察官を演じて見せた。彼はカメラの前で、大げさに眉毛をあげて見せたり、ウィンクをするなどの、わざとらしい表情をしたりしなかった。彼は胸のあたりで帽子を握りしめ、容疑者を見つめていた。フィリップはジャップ警部について、子供のようなところがあり、気取らず、堅実でまじめな警察官だと分析していた。フィリップはシャーロック・ホームズに出てくるレストレード警部にヒントを得たようだった。だが、決して愚かに見えるように演じることはしなかった。ジャップ警部がポワロより捜査で遅れることがあっても、実際そうなのだが、フィリップはジャップ警部が恥をかかされているようには演じなかった。

撮影現場で、フィリップは私がどのようにポワロ役を演じているかすぐに理解し、ポワロという人物と対面した時、ごくごく普通に演じようとしてくれた。一方でベテラン警部としての気持ちをちゃんと表現していた。フィリップはこうも付け加えた。「ポワロとは奇妙な縁の友人関係ですが、ポワロが事件を解決してしまうことでジャップ警部は確かにイラッとしていますね。」

ポーリーン・モランが演じたポワロの秘書、ミス・レモンは時としてポワロに怒ったりする。ポーリーンはRADAで演技を学び、ロイヤル・シェイクスピア・カンパニーとテレビで多くの仕事をこなしてきたが、彼女とも一緒に仕事をしたことはなかった。モーリーンはミス・レモンが、ポワロの女版であると、すぐ理解した。

ポーリーンはミス・レモンについて「ミス・レモンはポワロと同様に、潔癖で強迫観念めいたものがあります。私は彼女の細かなところに至るまで、この役に適していると思います。」

また、ポワロは女性に対して恭しく、丁寧に接するが、自分も同じように扱われたいと考えているので、ミス・レモンはどんな時も、仕事でなくても、プロとしてポワロには慎重に対応しており、ミス・レモンは優秀でポワロの性格に合った秘書だ、と分析していた。また、「もし彼女が30秒でも遅れることがあれば、ポワロもミス・レモンも気が気じゃないでしょう。」

「コックを探せ」では、その後数年間がどのようになるかが凝縮していたように思う。ポワロがちょっと小うるさいこと、「灰色の脳細胞」とフランス人ではなくベルギー人であることに誇りを持っていること、特に使用人に対して寛容の精神を持ち合わせていること、ミス・レモンに対する尊敬の念、ヘイスティングの思いやりに対する喜び、ジャップ警部への優しさ、事件を解決した後にトッド夫人から送られた1ギニーの小切手を額に入れたことからうかがえる自分自身を笑える寛容さ、等である。

映像化したいと皆が望んできたリアリティある画像が、手の込んだ撮影セット、衣装、小道具、ロケによって可能になった。視聴者が、1935年、1936年、1937年がそのまま映し出されていると感じられる映像になった。ただし、1時間半のドラマを撮影するのに11日しか費やせなかった。思い出せる限りで一番厳しい撮影スケジュールがプロダクションによって示されていた。

このスケジュールでは、夜8時半に帰宅してから翌日の撮影までの間に、セリフを覚えなければならず、かなりしんどかった。朝、スタジオに向かう車の中でセリフを一人で繰り返していたので、それも大きな声で喋っていたので、運転手のショーンはすべてのセリフを聞かされる羽目になった。

数週間後、ショーンは時折、丁寧なアドバイスをくれるようになった。「お気に障ったら申し訳ございませんが、その最後のセリフは声を落とされたほうが、良くなるのではないかと存じます。声に出す必要はないかと。」ショーンは私のフィルターになって、私と同じくらいポワロについて理解するようになっていた。

撮影が始まって間もないころに、ポワロが顔を上げさせるべきかそうするべきでないかといった議論がはじまって、辟易していた時だった。失踪したコックを追跡してクラプハムにあるトッド夫人の家にヘイスティングスと訪ねるシーンで、トッド氏が会社から帰宅するのを待ちながら散歩している時、下宿人に話しかけていた。

Clive Extonの脚本では、公園のベンチに腰掛けてヘイスティングスとしゃべっている。リハーサル撮影の時、ポワロならどうするかと考えて、ハンカチをポケットから取り出して、几帳面にベンチを拭いてから座った。そうしないとズボンが汚れる危険性があったからだ。

ディレクターのEd Bennettは、その行動は馬鹿らしくみえると言って、私にたてついた。ドラマに関わる人たちと数週間議論してきたこと、つまりクリスティが書いたとおりのポワロを演じようとする決意が無になろうとした一瞬だった。私が右後ろに立って、演技を始めようとした時、そのようなことが起こった。

私は意見を変える気はなかった。ポワロはこういう場合、ハンカチでベンチを拭き、ハンカチを敷いて、その上に腰掛けるという確信があった。そうしない限り腰掛ける気にはならなかった。

「でも、非常識にみえるんだ。」と何度も言われた。「視聴者はポワロが変人だって思ってしまう。」

「そんなことはない。」と私は応えた。「これはクリスティが書いたとおりのポワロがする行動にすぎない。」

ディレクターは、私がハンカチを使うことをよしとせず、また私も思い描いたポワロ像に妥協するつもりはなかった。

ここで負けたら、私はポワロとして正しい演技を守ることができなくなる。そうなったら、私はポワロ役を続けることはできないと思った。なんとしてもクリスティが書いたままのポワロを演じなけれはならないのだ。私はクリスティのポワロについて確信がある。妥協はしない。

とはいえ、私は対立を好んでいるわけではない。というか、まったくもってそういうものを好まない。かなり困ったことになった。第三者、この場合は、エルキュール・ポワロなのだが、については議論はおこりやすい。私はポワロというキャラクターを守りたいだけであって、ポワロに対して「ラブラブ」な気持があるわけではない。ラブラブ・・・、この言葉は嫌いだ。

Ed Bannetも頑として聞き入れてくれる気配はなく、私は私で役に対して確信があったので、撮影は完全にストップしてしまった。

ブライアンが呼ばれた。ブライアンが来る間、実は心配していた。私はポワロを誰よりも知っている。間違っていない。

幸運なことに、ブライアンはハンカチを使うことに賛成し、撮影は再開された。もしブライアンがその決定をくださなければ、どうなったか私はわからない。おそらく、ディレクターの意見を受け入れたかもしれない。でも絶対にそうじゃないと思っていただろう。今まで調べてきたポワロに対して忠実でなくなってしまい、ポワロ役を続けるのが難しくなったに違いない。

皮肉なことに「コックを探せ」の最後のシーンが、世界中に放映されてしまった。ポワロは雨傘を持ち、ヘイスティングスの横に立っているのだが、なんとヘイスティングスが公園のベンチに座っている!ポワロは座っていない!ポワロがハンカチでベンチを拭くシーンはカットされたのだ。それが分かったとき、私は少し苦笑いした。

ハンカチの件が、視聴者がドラマを楽しめるかどうかに少しでも関係したかどうか、私は分からない。だが、あの時、「クリスティが書いたとおりのポワロ」を演じなければならないということを「ハンカチの件」で主張する必要があったのだと、私は今でも信じている。誰かがクリスティが書いたままのポワロを守らなければならなかったのだ。たとえどんな結果になろうとも、そう、私が、しなければならなかったのだ。

第1話が放送されて日が経つにつれて、重責を感じるようになってきた。ポワロと自分がどんどん重なりはじめ、ポワロについて知れば知るほど彼を守らなければならないと思い始めた。

第1シリーズの撮影を続けていくと、だんだんポワロと自分の境があやふやになってきた。撮影スタジオで、ポワロの衣装を着、ポワロの時代で生活を送ることが、まるで自分自身のことのように思えてきた。撮影が終わったら、私はこの世界から抜け出して現実に戻らなければならないのに。

だんだんとポワロと私は同一人物であるかのように感じてきた。そう、ポワロは私であり、私はポワロでもある。