chapter 5-6. 木槌で頭を叩かれているような感じ

仕事がないと困るのだ。

住宅ローンだってまだまだ残っている。

ポワロ役がつくまでの19年間、私の稼ぎはあまりよくなかった。性格俳優としての評判は良かったが、稼ぎにはつながらなかった。

 

1989年の2月下旬、ITVは第二シリーズ製作を決断した。

スケジュールは第一シリーズと全く同じだった。

1989年の7月上旬からクリスマスまで撮影し、翌年の1月から3月にかけて放送する、というものだ。

 

ただ、第一シリーズでLinda Agranと共にエグゼブティブプロデューサーを務めたニック・エリオットは、1990年1月上旬に放送する第二シリーズ一話目に、2時間ドラマ制作するようブライアンにを求めてきた。

原作は有名な「エンドハウス怪事件」である。その放送の後、毎週日曜に、1時間ドラマが8本放送されるという。

ポワロはITVテレビの日曜夜枠の定番となったようだ。

 

評論家の批評がよかったからロンドン・ウィークエンド・テレビが第二シリーズの製作に踏み切ったわけではない。

一応気にしてはいたようだが、決め手となったのは視聴率で、ドラマが回を進むにつれて上がったらしい。

そしてこのドラマは、イギリス以外でも放送されることになった。

カナダ、アメリカ、ヨーロッパが興味を持っているという。

ベルギーではすでに放送されていた。

 

世界中で放送されることになるので、「エンドハウス怪事件」と8話に加えて、第二シリーズの後にクリスティの処女作でありポワロが初登場する「スタイルズ莊の怪事件」の特集を組むように、とロンドン・ウィークエンド・テレビはブライアンに要請した。1990年の後半に放送し、クリスティの生誕を祝うという。

 

第二シリーズの製作が決定されて本当に嬉しかった。

私が作り上げたポワロが受け入れられたのだ、とホッとした。

これで住宅ローンも払える。あと数年は今の家に住めるのだ。ポワロのおかげで住める家を、Elmdeneと名付けた。

そしてまたあのベルギー人の小男を演じることができると思うと、心の底から嬉しかった。

このままポワロとサヨナラする気など、到底なれなかった。

彼と歩む人生はまだまだ始まったばかりなのだ。

 

そう、これからだ。