chapter7-1. ポワロの人物像を守るのは私

「スタイルズ莊の怪事件」は、二本目の2時間半ドラマとなり、そして第二シリーズ最後の作品となった。

また、クリスティの生誕100周年を記念して放送されることになった。

実を言うと、イングランドでは、クリスティの生誕百年のちょうど一日前にあたる1990年9月16日に先行して放送された。その日は、クリスティがオックスフォードシャーで没してから、約15年が経過していた。

だが、それよりも私にとって重要なのは、「スタイルズ莊の怪事件」がクリスティの処女作であり、ポワロが世間に初めてお目見えした作品である、ということだった。クリスティにとっては第一作でも、テレビドラマシリーズは既に19作品の映像化が済んでいる。

ロンドンウィークエンドテレビが、この作品の映像化に特に気を遣っているのがよく分かった。脚本は、Clive Exton、テレビドラマのスペシャル版というよりも、むしろ映画製作の様子を呈していた。

第一次世界大戦のころの雰囲気をだすだめに、たくさんのヴィンテージカーと数多のエキストラが動員されていた。ディレクターは、30歳で南アフリカ出身の才能あふれるRoss Devenish。彼は1890年に、「Marigolds in August」を発表し、同年にベルリン映画祭で表彰されている。「スタイルズ莊の怪事件」では、ポワロの探偵としての初期のキャリアを描くことになった。

ドラマでは視聴者は探偵として成功しているポワロしか見ておらず、若いポワロになじみがない。ポワロは故郷のベルギーから侵攻を逃れるために難民としてイギリスにやってきたばかりだ。

 

「スタイルズ莊の怪事件」は見ていて楽しいとは言えず、殺人、複雑なストーリー展開に出だしから重く陰鬱な雰囲気がある。ドラマの最初のほうで、戦争で怪我を負い、『ちょっと憂鬱な』故郷イングランドに滞在し、負傷から回復しつつあるヘイスティングスが描かれている。

ヘイスティングスの最初のシーンでは、患者たちと白黒画面のニュースを眺めていて、そこでは西部最前線の戦闘の様子と、ベルギー人が難民としてヨーロッパ全土に溢れていく様子が流れている。

 

「スタイルズ莊の怪事件」にはクリスティが少女時代に経験した実体験がいくつか反映されている。彼女は第一次世界大戦が始まると、故郷でベルギー人難民を実際に見ている。

また、クリスティの幼少期からも影響を受けている箇所がある。クリスティはイギリスの沿岸部であるトーキーで1890年9月に生まれた。

アガサ・ミラー(管理人注釈:クリスティの旧姓)は、少女時代にインフルエンザに罹った時から物語を書き始めた。母親が物語を音読する代わりに勧めたのだ。アガサは、物語を書くのが楽しかった。それ以来、彼女は書き続けた。