綺羅と帝(今上)

「ざ ・ちぇんじ!」の綺羅君(女)は
なんで帝が好きなんだろう
という疑問が
さいとうちほ氏の「とりかえ・ばや」を読んで
理解できた、ような気がした。

とりかえ・ばや」は、私の解釈では
ワーキングガールのハナシである。


マーガレット・サッチャーを主役にした映画で
結婚したばかりの若いサッチャーは言う
ティーカップを洗うだけの人生なんていや」

これとおんなじだ

宮廷への出仕は現代の会社勤めであり
サッチャーにとっては「政治」の世界がそれだ
そして、そこは男の世界

綺羅君(女)は、
というより「とりかえ・ばや」の沙羅双樹は御簾の向こうで琴をかき鳴らすだけの人生なんかまっぴら御免、
私だって男に負けない能力があるはず、と
男の世界である宮廷に自分の存在意義を見つけていく


沙羅双樹は女性の姿に戻ってなお、尚侍として出仕しても、お役に立ちたい、と仕事第一で邁進し、
これまた恋より仕事と明言する清々しいほどアッパレなライバル(三の姫)まで得ている。

そうなるとサッチャーは結婚してから政治の世界に入ったので、もう恋愛はしなくて良かったが

綺羅君(女)は多感な10代
初恋もまだで
恋がどんな感情かもわかっていない

毎日のように、見上げている尊敬すべき存在に対する感情が
恋という感情に、すり変わるのは決して珍しいことではないし
よくあることだと思う

しかもその人のお気に入り、と自他ともに認める存在になっているのだ、自分が。

その証拠に
綺羅君(女)の今上に対する感情が
宮廷以外の場所で
初めて会った時「どこのトロい田舎貴族か」
と思っていたのに
宮廷でうやうやしく扱われて、それらしく振る舞っている姿を見て「素敵だわ、ご立派だわ」となっている。

「ざ・ちぇんじ!」の今上は、
勘違いに勘違いを何重にも重ねた恋心に頼って
綺羅を正式に入内させたけれど

宰相の中将は、友人として接していく中で
どうしようもなく、綺羅君(女)に恋をしてしまう


なんだかなあ。。。
やっぱりさあ。。。

いや、勘違いも大事な恋の要素だとは思いますが、
今上のはちょっと度が過ぎるというか。。。

綺羅君(女)を本当に思っているのは
宰相の中将じゃないのかなあ

綺羅の為なら、綾子姫をサラッと諦められたくらい好きだったのに


綺羅も見る目無いよなあ。。。

確かに宰相の中将はプレイボーイで
氷室冴子著の「ざ・ちぇんじ!」では
「なにしろ根がプレイボーイなので、すぐにグッとくるのである」
と書かれているのには、大笑いした。

でも社会人になって思うのは
プレイボーイってさ、基本的に人間というものに優しいのよねえ
恋愛感情があろうがなかろうが


塩野七生は、「プレイボーイとは最小限の投資で最大効果を得られる人間」と褒めていた。

身近にいないなら
坂口靖子さんの「バジル氏の優雅な生活」を読み給え。あれがプレイボーイ様よ!

プレイボーイの良さが分からないなんて、おこちゃまよね、ふふん


って、コバルト文庫はおこちゃま、じゃなかった少女向け小説だった。。。


えーっと。。。
で話を戻すと

ああ、そうか
綺羅はワーキングガールだから
ビル・クリントン元大統領についていったヒラリーみたいな感じなのかな

ということは
たぶん10年後、今上は綺羅の尻に敷かれてる

#ざ・ちぇんじ!
#とりかえ・ばや
#氷室冴子
#さいとうちほ