ファンタジーというカテゴリー

ファンタジーは好きなジャンルだと思う。
恋愛やホラーは好まない。

恋愛は、ストーリーの構成要素として存在しているのは、むしろ好ましく思っている。ただ、恋愛をメインに据えられると、映画にしろ、小説にしろ、食指が動かない、というだけである。

理由は簡単で、恋愛を主食に生きていないので、想像上の世界を描いたファンタジーよりも、遥かに入りにくいからである。

ホラーはもっと単純で、極度の怖がりだからである。みたら最後、夜にお手洗いに行けなくなる、だろう。

ファンタジーと言えば、世界的ベストセラーのハリー・ポッターは原作も映画も全部みたし、ユニバーサルスタジオジャパンにも、関連アトラクションエリアが出来た時、オープンから1ヶ月くらいで駆けつけて、ライドからバタービールまで堪能した。

オズの魔法使いは、複数ある続編もだいたい読んだと思う。このオズに続編があることを知っているのは、日本人の何%だろうか

こう並べてみて、「後宮小説」がファンタジーかと言われてみれば、どうだろうか

冒頭から、現在の暦では1607年、とはっきり、いや、ぬけぬけと書いている。

私は、この作品を読む前に、映画「ラストエンペラー」を鑑賞していたこともあって、実在した国の話ではない、とわかったのだが、それは幸運だった思う。私の性格からして、もし気づいていなければ、友人にベラベラと歴女よろしく語りだしていたと思う。

また、参考にした歴史書が3つ、学者、歴史家など数名の名前が挙げられ、最後には、筆者が銀河ゆかりの地を取材した、とまで書いてある。

どれもこれも、嘘である。

虚構の世界の話である、とわかっていても、読み進めていくと、まあこんなにスラスラと、しれっと嘘がつけるものだと、呆れながら、もっとこの嘘の世界に浸りたい、騙してくれ、と思い始めるから不思議だ。

実在した国だと思って読んだ人は、怒るんだろうけど。

上記にあげた魔法もののファンタジーとの違いは、ここにある。

ハリポタもオズも、何がおころうが、現実と違うとか、正しくない、とか言う人はいない。
(強いていうなら、ハリーとジニ-のカップルは相当無理やりだった)

この作品は、ちょっとした知識を持ち合わせた人が「いや、ただしくないですよね」「こんなことありえない」とか言い出す可能性がある。

でも、
虚構の世界の話ですから、
としらばっくれることができるのが、この作品の巧妙なところである。

同じような歴史物のという点で言えば、「なんて素敵にジャパネスク」も同じ分野といえなくはない。
だが、氷室冴子氏は酒見賢一氏ほどのワルではなかったから、引用文献だの権威ある学者だののホラは書かなかった。

この手法は、アガサ・クリスティの「アクロイド殺し」にも通じるものがあると思う。

やりやがったな!
という感覚である。

#後宮小説 #雲のように風のように #ファンタジーノベル大賞