オードリーヘプバーンの言葉だったと記憶している。
「賞を受賞したからといって、私は何も変わらない。
誕生日がきても、何も変わらないのと同じ」
鳥海監督によると
このアニメ「雲のようにに風のように」は、田舎の幼い少女が、後宮という封建社会に身をおいて、成長をとげる物語として描いた、という。
演じた佐野量子さんと、そういった打ち合わせがあったのかどうか知るよしもないが、彼女は、声の表現を、その成長に合わせていたと思う。演技が上手とまでは言えないが、器用な方だと思っている。
私が少女の成長の物語として思い浮かべるのは、
「ハウルの動く城」
「千と千尋の神隠し」
である。
この2作品と「雲のように風のように」の違いは、アニメには珍しく、少女の第二次性徴と、子供を身ごもったことだと思う。
原作では、「子供でなくなった」銀河に…、と書くと色々間違った憶測がなされるので、原作通りの表現を用いると「道女」になった銀河に、それとは知らずに会った角人老師は「お綺麗になられたな」と述べる。
私は、「道女」になるのは、誕生日がくるのと同じ感覚だと思っている。自覚外で起こる変化であって、だからといって、何か変わったりはしない。
角人老師と銀河がどれくらいしばらくぶりなのかはわからないが、
私は老師が「お綺麗になられたな」と感じた理由は、銀河が 双槐樹から愛の告白を受けたことが原因だと思っている。愛されているという自信は、外見に出る、と思っている。
この作品で、銀河の成長を感じるは、彼女が涙を流すシーンである。
アニメでは、 双槐樹に再会した時、そして永遠の別れの時、号泣していた。
原作では、もう 双槐樹に会えないのだと思って、静かに涙を流していた。
宮女になるため、両親と別れて都へ向かった時、銀河は涙を流しただろうか。
いや、これから始まる生活に心弾ませて、スキップしながら故郷を後にしたに違いない。
その銀河が、涙を流している。
痛いとか、癇癪ではなく、人を思って涙を流すことが、成長のひとつではないだろうか
年をとると涙もろくなって困るのだが、これは加齢によるものである。
だからこそ、銀河の涙が眩しく、美しい。