不惑を過ぎて

北海道のお土産でもらいました。

とってもクリーミーで美味しいホワイトチョコレートでした。

六花亭のお菓子は、やっぱり美味しい!

たまにスーパーやデパートで六花亭の商品は見かけますが、「北海道限定(?)だと思います」ということでいただきました

六花亭のレギュラーコーヒーや、有塩バター(製造は明治だった。。。)も、もらったことあるけど、やはりお菓子がダントツ美味しいかな〜

 

さて、本題。。。

 

不惑とは40歳のことだと思っていたら数え年40のことだった

ということは実年齢38くらい?

 

不惑になっても惑ってばっか」

ということもあるようですが

私の感想としては、惑わなくなったことも多々あるな、という感じでしょうか

 

自分の好みのファッションって、結局そんなに変わらないんだなあ、というのは

断捨離しつつのクローゼットやアクセサリーボックスと

ネットで検索してでいいな、と思う物がほぼ同じ。。。

ということでわかってきました。

 

なので、ファッションの購入に時間をかけることは、あまりしなくなりました。

 

まあ、そんな時間もないしね

最近の流行、オーバーサイズは全く持って好みじゃないし(はよ終わらんかな)

 

まあ、なんというかモノを所有する、ということについて、執着がなくなってきたかな、と。

 

ただそれは人による。

旦那さん(私より年上)は買うことが大好きみたいで、本棚が溢れてもまだ本買ってるし、ゴールデンウィークだから、という意味不明な理由で服を買っていました。

 

と、それはともかく

 

角幡唯介さんがエッセイで

40歳を超えると、それは人生という山を下り始めるのと同じような感じで、今までは突発的な事故などという形でしかでしか認識できなかった「死」というものが、山を下るときには、谷が見えるように、生命の終焉としての「死」を認識するようになる

というようなことを書かれていて

(手許に本がないので、上記文章は書かれていたことの、なんとなく雰囲気です)

 

さすが、文筆家は違う、すごいなあ

と思ったのです。

 

私がなんとなく、ふんわ〜り考えていたことを、文章で丁寧にすくい上げるとこうなるのね

 

40歳をすぎると見えてくる人生という景色は違うし

惑わなくなることもそれなりにあるよ

というオハナシでした