モチーフとしての馬小屋

もはや名ばかり、落ちぶれた(と自分で言っている)皇帝双槐樹と、一応正妃の官職についている銀河が、名実ともに(?)、結ばれる…

いや、ここは角人先生的にいおう。
二人が後宮哲学を証明する場所が馬小屋である。
分からない人は「後宮小説」を読もう

私は最初から、この設定には爆笑だった。
と言ったら、ファンには烈火の如く怒られそうだ。なんと言っても、一番、いや唯一ロマンチックで、ミもフタもない言い方をすると、ラブシーンの場所だからだ。しかも、溌剌、元気、能天気な子供らしいヒロインが、アニメでは、双槐樹に抱きついて涙を流す切ないシーンでもある。

が、である。

馬小屋で銀河は後宮哲学で言うところの真理を宿し、その真理は次々王朝の始祖となるのである。

下世話な視聴者には、そんなに都合よくできるか?、という嘲笑にもにた発言がよくでているが、
トルコの後宮では、スルタンとの初夜に子供を与えることが出来なかった女には次の機会は巡ってこなかった、とあるから、まあそんなに珍しくもないんじゃないかな…
(ファンタジーなのに、こんな現実的な考察をするのもどうか、と言う気がしないでもない)

本題に入る。
馬小屋というのは、言うまでもなくイエス・キリストが産まれた場所であり、日本においては聖徳太子の母が産気付いた場所である(事実はともかく)。

貴人と馬小屋の取り合わせは、それだけでドラマ性が生まれ、時には悲劇的であるらしい。

庶民と馬小屋の取り合わせでは、なんのドラマ性もないだろう。

だってさ!
別に馬小屋である必要性なんて全くなかったですよね?
使用人のみすぼらしい部屋でも問題なかったですよね?

きっと高貴な人と馬小屋、というのは悲劇のモチーフなんだな、と勝手に納得している私がいる。

#後宮小説 #雲のように風のように #双槐樹 #銀河