「信じる」ということについて

 

先日「プライベートがしんどくて」と言うことを、知り合いに言ったら、非常にライトに、軽く宗教に勧誘された。

とある宗教団体代表の書いた本までもらった

 

ああ、こういう時に宗教に勧誘されるのか、気をつけないといけないな、愚痴も他人にあんまり気安く言うもんじゃないな、と思った。

 

私は特定の宗教を信じているということはない。強いて言うなら、数年前から「断捨離」で幸せになりたいなあ、と考えていた、っぽい。

 

なんだか会社の中の居場所が、凄く嫌な感じになってきて、悩んでいたとき、つい「家の片付けや掃除を怠けているせいだろうか(言い訳させてもらうと、散らかっているのはダンナと子供が散らかしたまま片付けないから)。もっと頑張らないと」と、少し自分を精神的に追い込みそうになった。

 

我に返ったのは

塩野七生著の本を読んで、

当時新興宗教だったイスラム教の経典「コーラン」を抱きしめたまま、海上遭難しドザエモンとなって流れ着いたモノが多くいた、

という記述を読んだからである。

 

まさに「ハッ」となった瞬間だった。

宗教(精神的なもの)なんてショセンその程度のもの。。。

 

だからといって宗教を、

人が祈ることを否定するつもりはない。

 

塩野七生さんはバチカンのことを設立1000年以上たっても「平和」という目的を達成できない組織、会社だったら潰れている、みたいなことを書いてらして、彼女らしいな、そういう見方もあるのか、と思っていた。

 

いっぽう、萩尾望都さんが、自分がSFを好きな理由に

「現実じゃない、ここじゃないどこかを想像することで、生きにくい、辛い現実を生きていける」というようなことをおっしゃられていて、私はこれは宗教も同じ役割を果たしているのではないかと、膝を打った。

 

「戦争がなくなりますように」

「病気が治りますように」

そう祈る場所があることで、辛い現実を生きていける。

 

漫画「神作家紫式部のありえな日々」では、紫式部にとっては物語を書くことで救われているのだ、となっていた。この漫画に出てくる源氏物語のファンたちも、物語の世界に触れることで、思うようにいかない現実を生きていける、ということだった。

ちょっと度が過ぎて、あるファンに賢子ちゃんが誘拐されたりするのだが、この回の前半がめちゃくちゃバカらしくて(褒めてる)、お腹がよじれるくらい笑った。5回以上繰り返し読んだ。

オススメする

 

ん?

ハナシがずれてきたようなので

今宵はここまでに。。。